先人たちの底力 知恵泉▽邪馬台国はどこにある?古代ミステリーを楽しもう・後編

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この番組のまとめ

このカウンターの中でですか?本当ですか?実は… 「魏志倭人伝」何とか読んでみました。 九州の墓から出土した世界最大級の銅鏡と卑弥呼の関係とは?岡山にある 謎のストーンサークル。 不思議な形の丘で行われていた…お~っ…!今宵 卑弥呼の正体が明かされる?古代史最大のミステリー邪馬台国探しの旅から歴史を楽しむ知恵を味わいます。 ♪~邪馬台国を 正面からではなくて周辺から 周りから探っていこうというこの私のアイデア いかがでしょうか。

実はですね この伊都国の遺跡調査いたしますと…このような出雲型の土器が伊都国からは数多く見つかっていて頻繁に交流を行っていた事がうかがえます。 伊都国と親しい関係にあった人々が九州から離れた出雲の地にいるという事は…。 もしかしたら出雲も 卑弥呼の共立に関係しているかも…。 その名も…弥生時代に始まったという出雲独特のスタイルです。 つまり 伊都国が周りの国々と九州に卑弥呼を共立したという小さな話ではなく 出雲王国をも含んだ 広い範囲のどこかに邪馬台国があったという可能性が出てきます。

各地から土器を携え山を越え 谷を越えその 岡山・吉備には不思議な遺跡が残っています。 同時代の吉備にも伊都国や出雲王国に負けない巨大王国があったのです。 出雲や吉備 更には北陸 東海など 全国各地に強大な王国が存在した事が明らかになってきています。 そうするとその集落自体のサイズもある程度見えてくるわけですよね。 まあ 考古学では「拠点集落」という集落の名前を言ってますけれどもかなり そういう拠点集落各地にあって。

「倭人伝」によると卑弥弓呼は 常に卑弥呼と争い2つの国はライバル関係にあったといいます。 この卑弥弓呼が治める狗奴国に邪馬台国探しの大ヒントがあります。 纏向遺跡は3世紀 卑弥呼の時代に現れた 全国屈指の巨大集落です。 まさに纏向遺跡こそ 狗奴国のライバル卑弥呼の邪馬台国である可能性が濃厚だというのです。 東海地域の土器に始まり北陸 出雲や鳥取 関東九州北部まで。 これは 一体どういう事?例えば…そもそも 邪馬台国とは卑弥呼という女王が治める一つの独立した王国だという前提でこれまでその謎に挑んできました。

卑弥呼という名前の持っている意味を考えるとこれは…卑弥呼とは 「ヒメミコ」「ヒメミコト」という女性の尊称。 ほんとに人工的につくられた場所は国会議事堂みたいな場所が纏向遺跡だったというのは何となくイメージできるような気がして。 僕はね この纏向遺跡ですか一番近いのはねあれ 何だろうと思ったらブリュッセルのEU本部ですよ。