「新世代が解く! ニッポンのジレンマ」今月は「クリエーターたちは今?言葉のジレンマ大研究」です。 古市さん的にはクリエーターってどんなイメージですか?でも 何でしょうね やっぱりどうしても画家とか小説家とか音楽家とか 自分にできない人を僕 クリエーターって勝手に思って逆に自分でもできる 僕でもできる文章を書くとか評論家とかエッセイストとかは 別に あんまりクリエーターって感じはしないですね。 古市さんは じゃあクリエーターではない?クリエーターって あんまり自分の事は思わないですね。
なんか日常のコミュニケーション言語の中で伝えられないような事を詩という形で わざわざ発表しているのだから なんかその詩という形式の良さを生かすためにも あまり伝達的な言葉に頼らないようにしようていう気持ちですかね意図を説明しないっていうのも。 そういう意味では あんまり詩ってエンタメではないって事ですか?いや エンタメからは遠いんじゃないですか?絶対 エンタメじゃないでしょ。
自分が思ってるのとは違う理解のされ方をする事についてはどんなふうに感じてらっしゃるんですか?読んだ方の反応っていうので私が前に受けたのは私 デビューが高校3年の時に最初の詩集を出してるんですがそれが結構 学校生活の事とか題材にしたものでだから 2冊目の本を出した頃に「第1詩集の頃の文月さんに戻ってほしい」みたいなリプライとか面白いわけないんで…。
だが 時代は移ろい表現者たちが既存の権威にそして 2017年の…なんか 音楽評論家の人とけんかしてたでしょ。 僕 持論では評論家が「狂気」って言葉を絶対使っちゃいけないと思ってるんですけど評論家ってするべき事は アーティストの狂気を解き明かすべきでだから ここがこうなってこう生まれたんだよねとかそのルーツをひもといていくとかそういう事によってそれを ある程度完全にとはいわなくてもブラックボックスをより美しく見せたりとか中をちょっと見せてあげたりとかっていう役割だと思ってるので…。
そういう意味では 70年代80年代から 2000年ぐらいまでメガヒットみたいなもの いわゆる全員が知っていてCDが何百万枚売れてみたいな存在があったと思うんですけどそれが割ともうなくなってきてるというかいや あるけども数が非常に少なくなってきてるみたいな。 恐竜はティラノサウルスが支配してたみたいな。
それを作家の周辺 身辺雑記を文学的に再構成したものをそれを そのまま書いたら文学になる 芸術になるっていうそういうモードが やっぱりあったんかなぁと思いますね。
でも 「HUNTER×HUNTER」ってすごい コミュニケーションが完成してるなと思っていて。 それって 直接 作者の冨樫さんと会話してるわけじゃないけど誰かが作り出したものをめちゃくちゃ深く考察してこれって ああなんじゃないかこうなんじゃないかって正解 不正解はともかく言い合えてその結論を出していくというかそういうのってある種 今 こうやって行ってる…深いのかもしれないっていう…確かに。
メカニズムを分析してこういう論理体系で物事を考えていったりインスピレーションが浮かんでくるんだよねみたいなのを体系化できたら楽しいだろうなとは。 でも だって そしたら「HUNTER×HUNTER」みたいな作品が無限に生み出されるわけですよね。 だって 「HUNTER×HUNTER」ってただでさえ あんまり連載…スピード感が結構 あれなんで休みがちなんで。 だから 僕はそういう意味では…面白い「HUNTER×HUNTER」が読めたら それでいいみたいな。
でも ほんとにそうなっちゃうと全部が その時のそのタイミングでの人気によって評価されちゃうと何だろう 今は 今この時代はあんまり評価されないけどもしかしたら100年後に すごくなるとか100年前にすごかったものが残りにくくなるっていうかそういう危機感はない?そうですか?それこそ パトロン制が 今すごく機能しやすくなってると思う。
わざわざ そのストレスを受けなかなか ストレスを感じてまで読むっていうのは 結構大変であんまり 人の詩ってものを読んでないんですけど。 なんか 私は 書く前は答えがなかったものが…があって 本一冊書いてるとほとんどは自分がもう知ってる事で分かってる事なんだけどとはいえそうじゃない思ってもなかった事が書ける瞬間とかそうか こんな考えもあったんだって 自分でも驚く瞬間があって。
僕 戦争博物館の本書いた事があって戦争博物館の本 書く時は普通に世界の戦争博物館 巡って戦争博物館ってすごいエンターテインメントだよねとか実は博物館っていう人を楽しませ 楽しめる施設とでも戦争っていう悲惨なものっていうミスマッチが面白いなと思って書いた本なんですけどでも 最後の最後の結論でいろいろ考えた末に…そうはなんないじゃない 普通は。