こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「禅の語録を読む」

戻る
【スポンサーリンク】
05:10:53▶

この番組のまとめ

中国語学・中国文学研究の大家で禅の語録の現代語訳をしていた入矢義高氏の研究グループに加わって大学院時代から 唐代・宋代の語録に取り組みました。

その後 私中国に留学いたしまして戻りまして そして駒澤大学で駒澤にいらっしゃるんですけれどもその石井先生に連れられまして京都の研究会にふたつきに一回通うようになりました。

そこが誤解のもとで「質問と答えが 全然トンチンカンだ」というようなところで「わけが分からんのを禅問答」というような 変な定義が一般に行き渡ってるようですけどそんなものじゃないわけですね。 「禅問答のような」ともう 若者の間では死語のようですけど 年配の方にはトンチンカンで ちぐはぐなやりとりを「禅問答のようだ」と言う例えまだ使われているかと思いますけれども。 国語辞典で「禅問答」を見ましてもやはり「禅宗の坊さんが行う問答のように当事者以外には 何を言ってるか分からない」というふうな語釈が書かれております。

答えているんですけども答えを教えているんではなくてその答えを質問者自身に自ら 心の中から質問に また質問で返してるようですけれどもそれはお前自身の心の事だという前提があるとすればですね今のお話だけではなくて禅の問答を読む時に常に 自分自身の心の問題だという事を 皆が承知した上で疑問文に疑問文で答えてない問答も たくさんあるではないかとそういうふうに すぐ言われると思うんですね。

ですから 「麻三斤」というのは麻というような事を答えてるんじゃなくて宋代には 麻という事を答えてるという解釈が一般的に行われていたようなんですけれども入矢先生の考証によって分かった事は「仏とは何か」「三斤の麻」というのは つまり一着の衣一着の衣の中身たる己はどうかとこういう事を質問者に問い返してるんだという読み方ができるようになってきたわけです。 でも それを伺ってますとですね質問者自身が 自分自身が仏であるという事を自覚しなさいという事はその「仏とは何か」という質問がよく禅の問答には出てきますね。

で その「柏樹子」の他にも他の禅者の問答にもで ところがですね今 申しましたのは禅宗が起こりました唐の時代の話なんですけれども宋の時代になりまして 禅宗は大変に発展いたしますけれどもそこで 大きな禅の転換があったようでございまして宋の時代になると今 申したような非論理的 あるいは超論理的なやり取りだというふうにその いろいろ地方官が決裁すべき解決すべき事件とか案件というものが書類に書かれてある。

ともかくそのような変化がありまして例えば 先ほど申しました「庭前の柏樹子」という問答も宋の時代の 大慧という大変有名な禅僧がおります。 「『如何なるか是れ祖師西来の意庭前の柏樹子』こういうふうに理解してはいけない」。 その 言ってる問答同じ問答を2回引いて「『如何なるか是れ祖師西来の意』こういうふうに理解しちゃ駄目だ『如何なるか是れ祖師西来の意庭前の柏樹子』こう理解しなくちゃいけない」。

これもう はなっから その脱意味的 非論理的なものとして公案として 問答であったものを公案に読み替えるんではなくてはなから 公案として作られているのでとても かなったものなので非常に広まったし印象があるんですが そういう公案についての扱い方は只管打坐の方とそれから看話禅の方とそれから 問答の趣旨を表す詩を作ったりですねあるいは 問答と詩をセットにして講義をしたりという事で実は大慧自身が文字禅の作品たくさん残しております。

これは 私じゃなくて 京都の衣川賢次先生という先生が「夢中問答」の中にこういうお言葉がございます。 そして それが歴史と共に変わったという事も夢窓国師はちゃんと説明しておられましてこれも「夢中問答」の中のお言葉ですけれども…分かったような気になって悟った気になってやめてしまうと。 じゃあ 公案とは何かというとまた「夢中問答」で非常にきっちりした説明がされておりまして公案というのは…仏門の教理でもないと。 餡子の「餡」と書く 「鉄酸餡」とそれが元の言葉ですけども夢窓国師が「鉄饅頭」と言いかえておられる。

もともと誰にも生き身の己に もともと備わっている不生の仏心と盤珪禅師はこう説明しておられます。 これは 唐の時代にもその問題意識が既にありまして馬祖の弟子たちが ありのままじゃいけないんじゃないかという事を言いだす。 で ありのままというのを馬祖は 「平常」という言葉で申しました。 馬祖の弟子たちは 「無事」「ご無事で何より」の…。 平常とか無事という言葉で言いました。 これが平常無事だというふうな説明がされております。