先人たちの底力 知恵泉「だって仲間だもの 戦国武将 今川義元」

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この番組のまとめ

やっぱり 織田信長に桶狭間で負けたというね実は今川義元八木さん 小和田先生共に共通点があるんですよね。 まあ 仲間というのがね今川義元 特に大事でしていかに仲間をつくって戦国の世 のし上がっていったのかというのを…。 僕は もう 漫画今川義元を描くに当たってまずは 小和田先生のご研究を参考にさせて頂きました。 これが戦国大名のイメージだったんですけど今川義元になるともうちょっと違うやり方でちょっと勉強するとこっちの方が正当な戦国大名で織田信長は特殊っていう形が見えてくるんですよね。

今川義元の…霊源院も多くの公家たちが集まる文化サロンのような役割を果たしていました。 「このままでは…」辛くも撃退したものの義元派と恵探派で今川家中は 真っ二つに割れ駿河は…「この混乱に乗じ駿河に攻め寄せてくる輩がおらねばよいが…」。 時の将軍…都随一の文化人として知られる公家三条西実隆に書状を送り自分を今川家当主として公認するよう将軍に依頼してほしいと頼み込んだのです。 こうして義元は 仲間が仲間を呼ぶ見事な知恵によってついに今川家当主の座を射止めたのです。

宮下さんどのように ご覧になりました?一番最初の疑問が 戦国大名に関して…名前だけで武力も力もないんですよ。 それこそ武田信玄の力借りるために公家の力が必要だったというのはこういうとこからああ なるほどねってそれから 戦国大名像がちょっと変わってくるんですよね。 お茶ですとか 和歌ですとかそういう ある種趣味的なものを通じて公家と仲良くなった部分もあると思うんですけどどうですか そういう趣味を通して仲間をつくる というのは。

さあ 今川義元 このようにして当主になりましたけれども国を治めるにあたっても仲間の力というのが必要になってくるんですね。 今川家11代当主として18歳で 駿河の国を治める事になった 義元。 寄親寄子とは有力な家臣を「寄親」としその下に領民が「寄子」としてつく主従関係を「疑似親子」の関係に見立てた 縦割りのシステムです。

仮名目録そのものはお父さんの今川氏親が制定してるんですけどまあ これが戦国で東国では いちばん早い分国法なんですけどそれを 更に 今の状況に合わないようなところをピックアップしながら 追加して。 これは 有名な……なんて ありますけどあれの条文のかなりは今川仮名目録及び仮名目録追加のまあ まねと言っちゃうと山梨の人に怒られるかもしれないけど今川の方が早いですね。