こころの時代~宗教・人生〜 シリーズ 唯識に生きる 第5回「唯識の科学性」

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この番組のまとめ

瞑想を行い自己の奥深くにある心のメカニズムを観察・分析します唯識は…そして今回 唯識を50年以上にわたって研究している横山紘一さんが重力理論と量子力学の統合という「こころの時代」では 毎月1回「唯識に生きる」と題して日本の仏教の根本思想とも言われる唯識について6回シリーズでお伝えしています。 そうする事によって深層心の阿頼耶識に潜在する清らかなですね素晴らしい可能力種子といったものを生育させていきそれが結果として芽を吹いてくるというね。

人間的存在に当てはめるならば身体といってもいいと思いますね。 人間の構成要素というのはこういう事なんだという事をですね今からもう 2,500年前に釈尊が こういうふうにまとめられたという事なんですね。 もともとは「識心不相応行」と。 これまで私は仏教の瞑想法を土台にした瞑想の時 一番大切なのが呼吸おへそを床にくっつけたままやるんですね。 体全体で深い呼吸をするためのエクササイズを習いましたなんか 迫力のないヒョウですよね。 呼吸をきちんとできるようになると日常のあらゆる場面が瞑想のチャンスになります。

まぁ 科学というのは現象をですね観察しね 分析して因果法則の基本としてですね現代の言葉でいうと根本原因と補助原因があると。 これが根本原因をまくわけね。 もともと 縁起というのは正式には「因縁生起」といって根本原因があって その根本原因に補助原因が作用してね最終的に結果 芽が出るというね結果が出るというね。 つまりこれは 仏教が人の生き方を追究するという事から阿頼耶識の中に根本原因が全部あるわけね。 根本原因を引き出してくる縁がどういう縁があるかという事がいろいろ問題となってくるわけですよね。

渇愛をなくすにはどうしたらいいかというので今度は新しく 阿頼耶識縁起という縁起観を打ち立てていくわけです。 この研究所で主任研究員をしております 大栗博司と申します。 大栗博司さんは素粒子論が専門の理論物理学者ですよろしくお願いいたします。 大栗さんは宇宙のあらゆる現象を説明する「究極の理論」を求め研究を続けていますガリレオ・ガリレイの言葉がここに書いてあるんですね。

で 先ほど ちょっとここの柱に「宇宙は数学の言葉で書かれてる」というガリレオの言葉を引用しましたけれどもそれを数学という言葉で表現する。 宇宙の現象を そういうふうに1組の数学の言葉で表現する事を「モデルを作る」というふうに科学者は言います。 ただ 私は言葉というのがまぁ 唯識では全部この近代物理で これだけ重要になってきたかというとですね人工言語まぁエスペラントみたいなものです。 だからガリレオも「宇宙は数学の言葉で書かれている」というのはそういう事なんですね。

それでその なりきるという事がじゃあ どういう形で真実に迫れるかというのはあの菩提樹受けたインドの菩提樹の下に釈尊が悟った事を記念してですねアショカ王が大きな記念碑をそこに置いたんですね。

阿頼耶識の中にある根源的なアレから「ある」という言葉が出るわけですよ。 それで 一番 根源的な言葉は「有」と「無」なんですよ。 ですから 例えば先生のご本にも 「自分」とは言葉の響きがあるだけであるですから そういう意味ではそれ自身物自身というものについては「ある」「ない」という問いは科学的には立てられない。 私たちの思考っていうのは 言葉で思考しているわけですから私が 「自分は何であろう」と問うというのは言葉で問うている。

あの 変な事を聞きますが素粒子論とかねそれから 宇宙論をやってもこの世界の仕組みを理解しようというのが科学の目指す事なんですけれども唯識の目指すものというのはむしろ この世界の自分が たまたま生まれてきてしまった この世界がどんなものであるかというよりはその中の 私自身の心の働きがどういうものであるかと。

じゃあ その人間の幸福は何かといったら一つはですね そうしたら人間の 本来持ってる機能というものが 何であるかという事だと思うんですよね。 で僕はたまたま自然界の基本法則という事に興味があったので物理学を選んでですね素粒子論というものを研究して今 こういう宇宙を研究する研究所でお手伝いしてるわけですけども。 大栗先生は言われなかったけど自分自身が こういう研究してねどんどん どんどんいい成果を出して生きてるという生き方が大栗先生 幸せだなというふうに僕は想像したわけですけどね。