思想的な解決教義的なものを持ってこないと9歳で視力を18歳で聴力を失った彼は独自の視点で人間と社会を分析している。 物理的なバリアだけでなく障害者と健常者を分ける心のバリアをも乗り越える事を目指している。 以来 48年間柳澤は ほとんどをベッドの上で過ごしてきた。 「生きて死ぬ智慧」は 般若心経を科学の視点で大胆に解釈し53万部を超えるベストセラーとなった。 柳澤は 見えない聞こえない世界に生きる福島に驚き是非 会いたいと応じた。 柳澤先生のお手ですね。
そして 発言者が誰が誰に向かって言ってるかという そういう…劇の台本で もし…それが 私の これまでのコミュニケーションだったんです。 今 ちょうど この人たちがやってくれてるように1962年福島は中学校の教師を父に3人兄弟の末っ子として神戸市に生まれた。 大学院で学んだあと金沢大学を経てこれは 福島が自分の人生を研究対象にして書いた博士論文。 人と人のコミュニケーションにおいて言葉のほか表情やニュアンス周りの様子といった感覚的情報が果たす役割の重要さを考察した。
ここから さらに「絶望」の反意語を「希望」だとすれば「マイナス絶望」は「希望」だと考えられます。 若き日 生命の初期発生について研究していた柳澤。 私は もともと 初期発生の仕事胎児の初期発生の仕事をしていましたからこれはもう 異常児が生まれてくるっていう事はもう 確率的にはっきりしてる訳ですから。 今日は 福島が柳澤をインタビューする。 今日はね 先生が柳澤先生が主役なんです。
大学で生物学を修めアメリカのコロンビア大学へ留学。 順調な研究生活を送っていた31歳の時突然 周期的な頭痛と吐き気が柳澤を襲う。 45歳の時 長期の病気療養休暇を取っていた研究所から最も病状がつらかった1998年「生きて死ぬ智慧」では般若心経の空の思想を物質を構成する 粒子という科学の概念に置き換えて解釈した。