こころの時代 シリーズ 唯識に生きる 第6回「“いのちの時代”の到来」

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この番組のまとめ

私としては科学というものが存在全体をですね観察分析していく態度なんですが仏教は心の中の存在をね全部に5つのグループに分けてそれを百種類に分析していく「五位百法」というね。 漢字の「生命」と 平仮名の「いのち」の違いというのを私の体験を言わせてもらいたいと思いますが私は学生時代水産学科に進みましてですね魚の血の研究をしてたんですが。

この図は「阿頼耶識」というものがその「一切種子」の種子として2つあって「倶生起の種子」とそれから 「分別起の種子」とね。 「倶正起の種子」が先天的種子であり「分別起の種子」が後天的な種子であると仏になるね そういう可能力を持っているという事です。 一方 後天的な種子の方は?生まれてから この方ねいろいろ心の中で 「分別」あれを考え これを考えですねそういう心の状態によって植え付けられた種。 そうするとこの 後天的な種子にいかにして働きかけをする事が大事なのかという事をおっしゃってるわけなんですけれども。

言葉以上の何かが伝わって「あっ 伝わってる」っていう感覚がもっと深いところでつながる感覚がね 持てるんです。 最近は 「個性を伸ばせ個性を伸ばせ」というね例えば 植物を育てる場合ですね私の教育論としては個性を伸ばす前に素地を養成する必要があるという事が1個ですね。 菩薩というのは下に書いてますように「人間の二大尊厳性に生きる」人の事であって人間の二大尊厳性というのは「智慧」と「慈悲」なんですよね。

正眼寺というお寺ですが 昔から「鬼の正眼寺」と言われるね岐阜県美濃加茂市にある 禅寺…ここでは 数百年前と変わらぬ修行の日々が連綿と繰り返されています24歳の時 禅の世界に飛び込み以来40年以上禅の道を探求し続けていますまず 「生命」と「いのち」というですね老師は この漢字の「生命」と平仮名の「いのち」ねどのように違いをお考えでしょうか?我々というか私自身も含めてですけどですから 禅の世界では「本来の面目」とかですね我々は ここに来ていると言っても過言ではないですね。

それは どういう事かというとここで修行中に坐禅をしてるとかですね作務でしてる最中にこの体を見てくれれば 明らかにこれは もう腰は駄目だしいろんな体調がおかしくなっていますのでもう とても これは即入院か故郷に帰すしかないと。

まあ こういう世界では「学得底」 「体得底」という言葉を使いますが「学得底」では駄目だと。 「体得底」 「学得底」。 今 言われたように戦争や紛争ですねそして貧困とか搾取がね 続く世界の状況を見てその全ての問題の根本原因は一人一人の人が持っている「自我執着心」とそれに尽きるんじゃないかと思うんですよね。