こうして生まれた全体主義体制はやがて ユダヤ人大虐殺にまでつながっていきます。 そういうのが 醸成されていてそれが ナチスがこの全体主義運動を展開していくベースになっていったと。 それが「大衆」でありそこから 「全体主義運動」が生まれるのだとアーレントは考えました。
そして 階級や職業が流動化し根なし草になった「大衆」は「国民国家」に 自ら積極的に寄与する意識を失いバラバラの 単なるアトムのようになっていったのです。 それを示してくれたのがナチスのような「世界観政党」です。 「世界観政党」はまるで 秘密の奥義を持つ「秘密結社」のようなものでした。 この仕組みって 90年代半ばのあのオウム真理教事件の時の報道でそういう組織運営をやってたと報道されてましたよね。
さあ こうして「大衆」が信じた「世界観」がどうして ユダヤ人の「絶滅収容所」という結果につながっていったのかご覧下さい。 1939年第2次世界大戦が始まるとナチス・ドイツはその「世界観」を実行に移し支配地域のユダヤ人を強制移送収容所に隔離します。 アーレントは この「絶滅収容所」こそ…そこでは 頭髪が刈り取られ名前も奪われて番号で呼ばれるようになり周到に計画された拷問によってこの事態を アーレントは「人間の無用化」と呼びました。