今回はですね アーレントが「全体主義の起原」の後に書いたこちらの本 「エルサレムのアイヒマン」を読み解いていきたいと思います。 仲正さん この「エルサレムのアイヒマン」という本はどういったものなんでしょうか?「全体主義の起原」の3巻でアーレントはナチスの「世界観」がユダヤ人の虐殺を可能にしたというような筋で話を展開してきたんですけれどじゃあ それを実行した個々のドイツ人はその感覚はどうして生まれてきたのかと。 第2次世界大戦が始まるとアイヒマンはユダヤ人移送の実務責任者としてその職務を全うしていくのです。
防弾ガラスのケースの中 アイヒマンは自分が何をなしたのかをまあ ユダヤ人からすればにっくき「この人がいなければ」と思っちゃいますもんね。 検察側にしてみれば「あなたが円滑に進めたおかげで絶滅収容所で スムーズに殺されちゃったんじゃないか」というふうに言いたいわけなんですけどアイヒマンは 「いや 自分は法に従って 秩序を守るという仕事をしたんであってそれ以上の事ではない」と。 それでは このアイヒマン裁判の判決がどうなったのか ご覧下さい。
簡単に言うと 一つの人種 ユダヤ人という ある属性を持った集団をだからその複数性のために アイヒマンには責任を取ってもらわないといけないと。 自分には ちょっと耳の痛い事も入ってたなと思ったのは僕も アイヒマンになる可能性はあるんですか?そういう事って 何て言うのかな世の中しょっちゅう起こってますよね。