♪~斬新なアイデアで常識を覆してきた建築家安藤忠雄さん 75歳。 神戸六甲の集合住宅ではアメリカの美術館では コンクリートとガラスそして 水。 大阪にある安藤さんの事務所。 血糖値に応じてインスリンの量を調整し日に4度 注射を打ちます。 祖父は 大阪港で軍の食料供給をするほどの商人でした。 安藤さんが物心付いた時一家は 下町の長屋暮らしを余儀なくされました。 祖母のキクエさんが日用品の小さな商いをして安藤さんを育てます。 自宅があったのは淀川近くの長屋の密集地帯。
近所で 何か起こってるでケンカしているのはまた 安藤さんの子やろとそうしたら また バケツで水をばしゃ~っと かぶせるわけです。 その時 安藤さんは心が解き放たれる強い力を建築に感じました。 食べんと 食べながら働いておるなと思ってましたので私は 2級建築士を受ける時にはアルバイト行っている先で昼は食べないと。 1か月たてば30時間勉強できると。 自分なりの方法で勉強してたのがその方法の原点は大工さんが 昼飯を食わずに働いているという姿かな。
建築の雑誌 建築の本 「こんな本を読んでます」。 建築というのは人間の心の世界を作るのに建築だけ読んで どないすんねんと言われてだけど まあ 必死になって読む。 まあ その時に 意地でも建築家というものになりたいとどんなものか分からないのになりたいと思いながら読むわけですが。 東大寺 法隆寺 唐招提寺見に行くでしょ。 やっぱり 人の心は伝わっていくもんだなってその時 分かりまして東大寺 唐招提寺 法隆寺ず~っと見てましたよ。 西洋建築の本場を巡り体で感じたい。
安藤さんは 夕方過ぎにたどりつき一夜を明かします。 1969年 安藤さん28歳の時念願の設計事務所を設立。 安藤さんが育った長屋とほぼ同じでした。 立ちはだかったのは両脇を囲まれている長屋の暗さそして ギリギリの予算。 モダンで美しくて 機能的で 経済的に「安藤さんこれ寒いけど どうするの」と言うんですよね。 このころ 安藤さん夫婦と3人で暮らしていた祖母 キクエさんが亡くなります。
自分が長生きしていたら足手まといになっていかんのではないかと思ったぐらいに祖母と過ごした長屋での暮らしが安藤さんが建築家として大きな一歩を踏み出す突破口となったのです。 たまたま その時の建設会社の社長さんが…光という事と十字架という事を考えましてそして 形が光の形だけで形としてはないものですからその光の形が 床にも天井にも映り出す事によってコンクリートの壁のスリットから差し込む太陽の光。 そのうちにあの光の教会の十字架だけはあのガラスだけは取ってやりたいとやっぱり粘り強くいかなあかんからね。
1995年 安藤さんは建築界のノーベル賞と呼ばれるプリツカー賞を受賞。 ニューヨーク世界貿易センタービルの跡地再開発のコンペに提出したプロジェクトです。 「そんな のんきな事を言うてる場合じゃないだろう」「あなた建築家だろう」と「建てないかんのじゃないか」とこう言われたんですけれども建てるより大事な事がいっぱいあります。 混沌とする時代にあって建築家に何ができるのか。