4週にわたって「歎異抄」の魅力に迫ります。 では 「歎異抄」の魅力を教えて下さる指南役をご紹介しましょう。 「歎異抄」ですが ずばりどんな本と言えるんでしょうか?伊集院さんなんかは 仏教と聞けばどういうイメージをお持ちでしょうか。 そんな釈さんが現代にも届く名著として「歎異抄」を読み解きます。 これが タイトルの「歎異抄」ですね。 「歎異抄」の執筆動機が書かれた文章なんですね。 そこで 彼が注目したのが中国 唐の高僧が伝えた阿弥陀仏の名を唱える事で誰もが救われるという教え。
日本語の中には 仏教用語がびっしりと入り込んでますのでもともとの言葉から転用されてるというのは 随分あるんですよ。 これ 本来 仏教の大切な教えなんですけどもあまり よくない事として転用されたりするので他力本願もですね…「人任せ」というようなそんな意味に使われてますよね。 仏教というのは「悟り」型といいますか「自己変容」型といいますか本来 こちらですね「歎異抄」の前半は 我が師 親鸞が私たちに直接 語った言葉。 ただちに阿弥陀仏は その光明の中に おさめとって決して捨てないという利益をお与え下さるのです。
「念仏すると 地獄に落ちるんですか」と聞かれた親鸞。 「念仏は本当に浄土に生まれる因となるのかまた逆に地獄に落ちる行為なのか全く 私の知るところではありません。 もし 仮に法然聖人に だまされて念仏したために地獄に落ちたとしても私は 決して後悔はいたしません。 京都の下級貴族の家に生まれた親鸞は 9歳で出家。 親鸞は念仏者の道を歩み始めます。 しかし やがて旧来の仏教勢力から糾弾され法然と親鸞は 四国と新潟に流罪。