こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「共にわかちあう日々を」

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この番組のまとめ

一番最初の日本人とメキシコ人が抱擁したところ。 プロの演奏家を志した黒沼さんは18歳で単身チェコスロバキア共和国に留学しました。 東西冷戦の緊張の時代「鉄のカーテン」に隔てられたチェコはプラハ交響楽団との共演でデビューを果たします。 ヴァイオリンと共に生きた歳月とその音楽の原点を伺います。 開けてごらんって言うので開けたら ヴァイオリンが出てきたんでびっくりしたんですけどね。 で 兄にできなかったので末っ子の私が まだ8歳だったからこんな小さなのヴァイオリンですけどね。

両国教会って 母に連れられて教会行っててそれで西洋音階とか 賛美歌から西洋音楽が好きになったんですね。 でも英語なんていう意識はなくてですね「ザ ビーアイビーエルイー」なんてなんか知らないけど何が「ザ」なのかね 「ビーアイビーエル」なんか知らないですけども「bible」ですよね。 電気は町工場のためにって家庭では食事が終わる頃ぱっと電気が消えて停電になっても ロウソク1本でもねゼンマイこうやって カチャッとこうやるとレコードがかかってSPレコードとか いっぱい残ってたんですね それはね。

ヴァイオリニストだったのでその先生が入学試験の前に日本から ヴァイオリンの学生が来たなら弾いてみなさいって言うんで12番教室の天井の高いとこへ行って 聴いて頂いたのがでもね もうパーキンソンっていうんですか。 コーヒー出すお盆がこう 震えるようになってヴァイオリンは絶対に弾いて下さらなかった。 先生のヴァイオリンは。 それで ヴァイオリンの曲っていうのは大抵 伴奏がありますね。

黒沼さんが 更に世界を広げるきっかけとなったのがエンジニアじゃなくて もっと文化的な事を勉強したいんで人類学勉強したい考古学も勉強したいってプラハに来て 考古学の発掘にも彼は行ってて夏休みだから ついてこないかって行った事もあります。 日本で もし勉強を続けてたら練習時間の無駄だと思いますよね。 ハンガリーから ルーマニア通ってブルガリアを通って黒海に出てギリシャまで行ったんですね。

「君 何を驚いてるんだ全部僕の音楽にもう書いてるじゃないか」って言われたという逸話が残ってますけどもそれで 「セニョーラ」って「奥さん」っていうんだけど「セニョーラ きれいな音ですね」ってヴァイオリンの音を聴いてるからね「こんな曲もどう?」なんて弾いてあげてたりしたらねそれが こう 噂になってね僕たちも みんな ヴァイオリン習いたいって言いだしたんです。 自分の村にある 一番いい一番いいっていうか 一張羅のヴァイオリンですけど 持ってきて。

太陽が ヴァイオリン弾いてるんです。 ああ~!太陽が ヴァイオリン弾いてる。 この人形は みんなヴァイオリン持ってるんですか?全部ヴァイオリン弾いてます。 っていう事はこれぐらい ヴァイオリンがいろんな形で弾かれてるっていう事は実際に生活の中で…。 ギターとヴァイオリンっていうのはメキシコ人なかったら暮らしていけないんですね。 楽しそうにヴァイオリン…これ女の骸骨スカートはいてるの。 太陽がね ヴァイオリン弾いてるんです。

このヴァイオリンの作りはね まさに私たちが弾いてるヴァイオリンと同じように出来てるんです。 メキシコだったらねヴァイオリンなんていうのは何となく ヴァイオリンに見えればいい。 これは本当にボヘミアンヴァイオリンっていってもう イタリアンヴァイオリンと同じようにヨーロッパでは有名なんですけどもそのボヘミアンヴァイオリンのそのとおりに出来てる。 ボヘミアンヴァイオリンっていうのはもう本当に伝統があってねイタリアンヴァイオリンかボヘミアンヴァイオリンっていう。

この人はね もうヴァイオリンを作る人の孫ぐらいでおじいさんぐらいから もうそのおじいさんもまた何年か前の木をとってあったわけでしょう。 で また2年ぐらいたって弾くと「ん? 黒沼さん 楽器替えた?」って言うから「いや替えませんよ この間と同じ」って言ったら「え? なんか音が変わってきた」って。 その木が この中に入ってる「魂の柱」っていうのがあるんですヴァイオリンの中に。 それが「魂柱」っていうんですけどそれが その木からとれてるねヴァイオリンを作って下さった方々。