こころの時代 アンコール “ブッダ最後の旅”に学ぶ 第1回「旅のはじまり」

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この番組のまとめ

古来 正しい教えとして代々 伝わってるものとこういうふうに言われてる伝統があるわけですけどもブッダの時代というのは そういったヴェーダの伝統から離れて経典に書かれてる言語は「パーリ語」といって後で また パーリ語っていうのはご説明させて頂きますけれどもパーリ語で 原典の名前は…「マハー」というのは 「偉大な」とか「大きい」という意味で「パリニッバーナ」というのが「完全な涅槃」と訳すんですが涅槃というのはつまり 我々で言うところの死にあたるものでございますけども「完全な涅槃」について語る「経」が「スッタンタ

「パーリ語」という言語についてはですねお答えしなきゃいけないわけですけどもこれは 「サンスクリット語」という先ほど バラモン教というブッダ以前のインドの伝統的な宗教をお話しいたしましたけどこれが 広い意味でのサンスクリット語というので書かれておりましてこのサンスクリット語は ヨーロッパの諸言語とルーツが同じだという事で18世紀後半には「インド・ヨーロッパ語族」というそういう 言葉のファミリーを発見した歴史がございますけどもこの サンスクリット語から派生した一つの言語としてまあ ヨーロッパの学者の方が 先に

この「大パリニッバーナ経」というのは私自身が 仏教の勉強をするきっかけとなる経典でもございましていろいろ 縁がございましてまあ そういう点で大切な 私にとっての経典なんですけれども今回は とりわけ私は 中村 元先生の孫弟子にあたるんですが中村先生の翻訳 解説その他ですね渡辺照宏先生の解説などですねこれらの先生方の教えを解説を通じてブッダの教えに出会うという事は結局 いろんな人々との出会いがあるという中で古の教えが そういったいろんな人々によって教えてもらったもので自分の心を照らしてくれるという点が 一方に

誤った教えを 仏教では「外道」と漢訳でするわけですけどもそれだけ さまざまな思想が生まれた時代という中で仏教は 先ほど申しましたように新しい思想だと申し上げましたけどそれは ヴェーダの伝統とかバラモンの伝統にはない新しい教えなんですけどその 新しい教えを説いた人たちっていうのはブッダ以外にも たくさんいて混乱した時代の中では例えば 無力であると。 運命論的な思想もあったし当時のインドの宗教的な あるいは思想的な勢力を持っていたよく言われるバラモンっていうのがありますねバラモン教っていうのが。

「行い」が大事だというところが新しい思想であり信者っていいますかブッダに帰依するっていうかブッダに ついていった人たちっていうのは相当 雪だるま式に増えていったんでしょうかしら?どうなんですか?これは よく分からないんですが少なくとも 先ほど経済的な発展の中でもって新たな… つまり経済が発展していきますとブッダの時代は「十六大国」などと言われて十六ほどの国があったと言われていますけれどもこの王権が 非常に強いタイプの中央集権的な国家として代表的なのが マガダという国でそれからコーサラという国もあります。

ただ どういう形で編纂されていったわけですか?この 経典の編纂の歴史というのはこれは専門家が 研究してもなかなか謎の部分というのがあって現在 残ってる資料で限界は あると思いますけれども基本的に ブッダが亡くなって最初に迎えた「雨安居」という雨期に一時的な定住をする時期にこの ブッダの最後の旅が出発した 王舎城ですね…マハーカッサパが呼びかけ人となって仏弟子たちが集まったと。

「智慧の目を開く」という事でこの「智慧の目を開く」というのは何のためかっていうと結局 最終的には 欲望に流されて思いどおりにならない現実中村先生の…「苦」というですね 漢字一字を中村先生は 「思いどおりにならない現実」と訳されてこれは名訳だと思うんですけども思いどおりにならない現実からいかに離脱しそれを 最終的に解放されるのが解脱であり 涅槃という事になりますけどもそれを目指すために智慧を開かなきゃいけないという事はそれは 出家者にとってみたら我々よりも厳しいですね修行の戒律があろうかと思いますけど要する

しかも この「戒」と「定」と「慧」というのは「最後の旅」の中にですねもう何回も何回も ほんと繰り返し出てきますでしょう?これってどういう意味があるんですか?ですから 肝心の「戒・定・慧」のどんな修行の内容かという事は少なくとも この経典のメッセージはブッダの教えと 最後 亡くなる時の教えというものはこれだけ 同じ「三学の教え」を繰り返していたと。