作者は 平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した…運慶が生きた時代は 源氏と平氏が覇権を求めて争っていたいわゆる源平争乱の時代。 それまでの仏像って そういうかっこいいセンスっていうのは入ってなかったと思うし そういう仏師じゃない アーティストっていうか佐々木さんはご専門ですけれども運慶というのはどういう存在ですか?もう 優れた立体感覚の持ち主でその技を いかんなく発揮して…今日も まさに デビューの頃から晩年までの作品があるという事でこれは運慶の息子 湛慶が造ったと伝えられる 運慶の肖像彫刻です。
例えば 上半身に斜めに「条帛」という服を たすき掛けに掛けてるんですけどもこれは 最初に体の上半身は裸の状態で彫って恐らく それは わざわざ本当ならば手間がかかってしなくてもいい事なんですけど多分 体のバランスとか 肉づきとか……してたんじゃないかというふうに思いますね。 運慶が生きた時代は 源氏と平氏が覇権を争う 戦乱の世の中でした。 1180年 平氏に歯向かう奈良の東大寺や興福寺が失われた仏像の制作を依頼しました。
しかも鎌倉期に造られて今も伝わってるとこがすごくないですか?だから やっぱりその時代その時代で終わった文化とかもあるだろうけども鎌倉期で こういう運慶が築いたリアリズムっていうのはのちには引き継がれてなかったけども…ありますね。 現代… 今の方が仏像だけじゃなく鎌倉期の この「八大童子」見て素直に感動するって…。 本当ならば いないはずの仏様がここに現れた時に「はっ」と思うその表現として リアリティー人間に近いという方が求められていったのかなとそういう時代の中で出てきた表現っていうところはあると思います。
そこに 時代のちょうど転換期だったのでそこに タイミングよく生まれたって事もありますしもっと多分 半世紀前にもし運慶が生まれてたら とか。 あと 東大寺とか興福寺の復興造営というのがその時期になかったら運慶の活躍はどうなってたのかなというのも思いますね。 最後に みうらじゅんさんが傑作だと思う運慶の作品を作者を伝える資料は残っていませんがその表現から運慶作だと考えられています。 興福寺復興事業の集大成ともいえる作品です。