100分de名著 歎異抄 第4回「人間にとって宗教とは何か」

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この番組のまとめ

親鸞の時代ですら 阿弥陀仏への信心をめぐってさまざまな考えが噴出したといいます。 最終回は 「歎異抄」から「100分de名著」 司会の…今月ご紹介している「歎異抄」。 釈先生 いよいよ「歎異抄」今回が最終回ですがどんな所を今日は見ていきましょうか。 恐らく それは 特定の教団の信者じゃありませんとか特定の神や仏を信じてるわけじゃありませんという意味の無宗教かと思うんですけど。

この事を回心というふうに唯円は言ってまして今までの自分が死んで新しい自分に生まれ変わるような何か大きな 大転換の話ですよね。 伊集院さんが お笑いと出会ってそうやって お笑いについて「歎異抄」において一番 分かりやすいのはどういう事ですか今まで 学んできた中で自然という言葉の。 現代人にとってこの自然は 相当難しい。 「歎異抄」の後書き 後序には親鸞と法然のこんなエピソードが記されています。 「どうして 法然聖人の信心と善信房の信心が同じであるはずがあろうか」と詰め寄りました。

ある道を ずっと体系をたどるからこそこっち行ったら 間違いこっち行ったら 間違いというリミッターが効くんですけども自分の都合のいいところだけ抽出しちゃうとすごく自分勝手な事になって宗教の具合の悪いところが噴出する。