そんなゴッホに影響を与えたのが日本の浮世絵です。 日本にもゆかりのあるゴッホの展覧会が北海道で開かれています。 今回の展覧会で監修を務めているゴッホ研究の第一人者…色彩やタッチに試行錯誤と実験を繰り返す ゴッホの姿でした。 1853年 ゴッホは オランダ南部の町フロート・ズンデルトに生まれます。 心を奪われたゴッホは これこそが自分が目指すべき絵だと大胆な方向転換を図ります。 ゴッホは アルルを日本に見立て更なる試行錯誤を続けていきます。
という事で圀府寺さんの一枚というのがこのアルルの「ラングロワの橋」。 今見ると 割にこう普通の印象派風の絵というか印象派の絵に 私たち随分慣れてしまっているしこの絵が割に普通の風景画に見えるんですよね。 ゴッホが鮮やかな色彩で描いた「ラングロワの橋」。 その中に 「ラングロワの橋」と同じ構図のスケッチがあります。 残された絵を細かく見ていくと「エメラルドグリーン」とスケッチに書かれた川面にはこのぐらいだったらできそうですか?帽子のつばも筆のタッチで描いています。
ある時期から色彩に目覚め始めまして赤と緑の組み合わせで補色の組み合わせで人間の恐ろしい情念を表現したいとかそれから 黄色と青の組み合わせで恋人たちの感情を表現したいとか。 「よし もう前衛画家でいくか」と思ったんだろうと思うんですよね。 ただ 前衛画家でいくってものすごい腹のくくり方が必要で。 大体その前衛画家がいい作品を描き始めてから一般に名前を知られて評価が高まるまで25年かかるって言われてるんですけど。 アルル時代 弟から資金援助を受けていたゴッホは文字どおり 絵に没頭します。
芸術家って耳切っちゃうんだ みたいな。 圀府寺さんこの耳切り事件っていうのは当時って 何の事件でもなかったものだったりするんですか?いや アルルでは もちろん大事件で。 この状況で 自分自身をネタにして芸術作品を作ろうという気分になれる事自体が芸術家ですよね。 パイプをくゆらすっていうのは自殺防止の手段って自分自身で書いてる事もあるので。
ゴッホの狂気や情熱が全て含まれて描かれていますがゴッホが表現したかったのは 自分が見た夢だったのだと思います。 私の傑作の一つの定義というかありましてそれは あの精神病の幻覚で見えたんじゃないかとか聖書のこの場面を描いた場面だとかキリストがつかまる前に祈る場面があるんですけど苦悩の祈りですよね。 ファン・ゴッホは オランダ時代から牧師になる勉強をしてる時から夜に星空を見ていて全ての音が消えると 神の声が星空から聞こえるっていうそういう言葉を言ってるんですね。