こころの時代 アンコール“ブッダ最後の旅”に学ぶ 第3回「入滅への決意」

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この番組のまとめ

一方において 仏教は「無我の教え」といって自己に対しては否定的というか自己の利へのとらわれを離れるという教えがある中でこの「自帰依 法帰依」というものは「自分にたよれ」という形ですからこの自分って 一体何なのかといった時に中村先生は ですから初期仏教においては自分というのは肯定的に頼るべき自分とどのような形でブッダが教えを説いたのか死を前にして どんな教えを説いたのかという中で最も有名な教えとして「自らにたよれ 法にたよれ」と。

それで「バフプッタ・チェーティヤ」というのは今 読んだ中にも出てまいりましたけどこの バフプッタというのは「多くの子供が授かる」というような意味合いがあって明らかに この場面も子宝を授かって感謝のお参りをしてる場面じゃないかという事ですのでその意味でもこのレリーフ一つをもってもチェーティヤというのは 樹木との関わりが深いという中で民間信仰の 恐らく人々がお参りをする木であるという事です。

じゃあ 何に意味があるのかといった時にブッダが 後でもご紹介する辞世の詩節の中に修行を励みなさいと。 いずれにしても ここではブッダとしては どうしてもブッダの言葉を理解できずにアーナンダが立ち去ったあと一人残ったブッダの傍らに悪魔が現れます。

そうですね これは原語は 「サンカーラー」といって例えば 我々が過去の経験をある時に思い出す時に時間が隔たってるわけですけどその過去の経験のいわば「潜在印象」と訳すんですけどそれが 我々の心に眠っていてそれが ある時に芽が出るというのもそれも サンカーラーといいますけども寿命の場合も これは一般的には…ここは ブッダが自ら寿命の素因を捨てるという事を悪魔に宣言するわけですけれどもブッダは逆に言うと約束じゃないですけども悪魔が しつこく寄ってきていわば その意をくんで 「じゃあ捨てますよ」という事を言ったと

やはり 仏弟子たちの間でブッダには 十大弟子とか言われていますけど有名な弟子たちがいる中でアーナンダも もちろん 十大弟子の一人でありますけどもマハーカッサパという 非常に修行に厳しい方なんですけど。

これが つまり弟子たちに「自帰依 法帰依」を説いたわけですけど「私自身が 自ら その自帰依をもう成し遂げている」というのはその残していく弟子たちにどのようにすればいいのかという事を 具体的にそんな細かく書かれてるわけじゃないわけですけど結局 今まで自分が説き示してきた事を簡略 エッセンスを述べて…つまり 精神を統一しという「戒」 「定」ですね。