SWITCHインタビュー 達人達(たち) アンコール「黒柳徹子×井上八千代」

戻る
【スポンサーリンク】
14:01:48▶

この番組のまとめ

アブラカタブラ~!日本で テレビの本放送が始まった1953年 NHKに入局。 あの おなじみの番組は一人の司会者による世界最長のレギュラー番組としてギネス最高記録にも認定されている。 私がボックス席に座ったらもう 万雷の拍手よ。 江戸時代後期から200年もの伝統を誇る井上流。 家元は代々 井上八千代の名を受け継いできた。 井上流で大事に舞い継がれてきた一曲「弓流し物語」は源氏と平家の戦いを描いたもの。 私が ボックス席に座ったらもう 万雷の拍手よ。 クラシック音楽と井上流のコラボレーション。

ですから 一番最初に作ったのよりお稽古の段階で型を減らすというんでしょうか。 舞台稽古の総監督をする井上八千代さんです。 井上さんは 毎年3月に入ると都をどりの稽古に忙しくふだんの柔和な顔の色も名人と うたわれ人間国宝でもあった先代の四世家元 井上八千代。 偉大な祖母は 井上にとって常に師匠でもあり憧れでもあった。 で しかも その 祖父というのは能楽師でして…ただ お芝居のお稽古もちょっとそんなんでさせられたんですけどそれは 御居処をおろさなくていいから 楽。

今日は 京都で演能を2人ともしてたと思うんですけど全然 見に行きませんでしたし。 現在 井上流を学ぶ芸妓 舞妓は 89人。 井上の姓を名乗る事ができる名取になるには家元の眼鏡にかなう必要がある。 自分は先代から厳しく指導された井上だが今まで思ってきましたけど。 でも 菊田先生を尊敬なさってたんでしょうし黒柳さんはそれで よかったんでしょう。 これから 井上流を どんなふうにしようと思ってらっしゃいます?どうなんでしょう?まあ あの 井上流の京舞が…私のたちとしては。

秋に上演される黒柳の舞台稽古を井上に見てもらいたかったためだ。 そのあと 「お舞台というのはどんななんですか?」と「黒柳さんにとってどんなですか?」っていう事が聞ければ うれしいです。 この日は舞台初日の およそ2週間前。 しかし 役柄を車いすで生活する設定に変更し引退した音楽家が集う老人ホームを舞台にした物語。 黒柳さんっていいますと私たち テレビのイメージがすごく強いんですけどやっぱり 1年に1回 こうして舞台に立たれるっていう事全然違いましょう? また映像と。

音楽が好きだった黒柳は音楽学校の声楽科を卒業。 先進的な映像技術を駆使し子どもたちを夢中にさせた。 今のテレビと どうなんでしょう…随分違いましょう?生放送が多かったんですよね。 森繁久彌さんとか いろんな方森 光子さんとか沢村貞子さんとかいっぱい いらっしゃいましたけどそういう方たちとでもとにかく どんな新人の私でも手をつないでよ~いドンって行かなかったら絶対 生放送うまくいかなかったのでそういう事思うと とっても今とは違っているように思います。

帰国後 黒柳は 女優業に励む一方バラエティーでも 一世をふうびする。 1984年 障害がある人への支援活動などが認められて当時 世界で3人目となるユニセフ親善大使に。 黒柳が こうした活動に打ち込む背景には自分の戦争体験がある。 それなのに 庭に出たら もうランドセル開けて 本出したら…だから それは もう 戦争の時は逃げ惑っていたんですけど戦争が終わったらここで頑張んなくちゃっていう大人たちに連れて 私たちもよし 頑張んなきゃっていうところが随分あったと思います。