趣味の園芸 アーカイブ選「園芸番組とともに40年」

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この番組のまとめ

今日は 2001年12月に放送した「園芸番組とともに40年」をお送りします。 園芸研究家の江尻光一さんと柳生真吾さんが昭和の園芸の歴史についてたっぷりと語っておられます。 スイスジャイアントっていうのはみんなの同好の人が集まってというふうになるんですね。 やっと 家庭の園芸の第一歩ぐらいだと思います。 東京オリンピックが 30年代後半ですね。 その前の年にね 私 近所の市川の市立第二中学校っていう所の園芸の… 授業の終わったあとクラブ活動ですかあれ 五輪の…。

そんな事をやって 何ていいますかその日本の家庭の園芸のやっと よちよち歩きそれ体験してる。 まだ園芸のガーデンセンターなんか ないんですよ。 そこで最初 4~5月何 売れたかっていうとナス トマト キュウリ これの苗です。 そこで園芸っていうものが急に爆発的ですよ。 もしかしたら オイルショックが逆に家庭の中での園芸とかに拍車をかけたんですかね。 一番最初 今でも耳に残りますけど「シクラメンのかほり」という。 シンビジュームの マリリン・モンロー。 いよいよ ここで シンビジューム。

その中の マリリン・モンローっていうんですけど。 それで 50年代の後半になるとシクラメンと シンビっていうのがギフトで動くんです。 これを配達するシステムなんて整っていたんですか?以前は それが なかったために駄目だったでしょ。 最初はシンビジュームは駄目だったんです。 シクラメンだけは オーケーだったんですね。 そのうちに… これはマリリン・モンローというのはもともと 背は低いんですよ。 いや こうやって ず~っと お話を江尻さんに聞けるというのはもう一番 ダイレクトに入ってきますよね。

その下が ヨランダ・ナカゾネって。 ブラジル サンパウロにいらっしゃるねナカゾネさんと おっしゃる方の奥さんのお名前なんだそうですけども。 昔から当然育種をされてたんでしょうけども。 そうしませんとね園芸っていうのは やっぱりその中から 何かを見いだしながらそれも自分たちのところにこう跳ね返ってこなくちゃいけないでしょ。 最後にね 江尻さん ひと言これからの園芸に思ってらっしゃる期待されてる事お聞きしたいんですけど。 じっくり つきあう園芸も改めて大事じゃないか。