こころの時代~宗教・人生〜 アンコール▽地の底の声―筑豊・炭鉱に生きた女たち―

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この番組のまとめ

福岡県北九州市の博物館に一枚の布が所蔵されています。 炭鉱の 坑内で働いた「女坑夫」と言われた人たちの仕事着です。 普通の人が見たら「なんだ こういう…まぶべこを身につけ女性たちが働いたのは福岡県の筑豊。 遠賀川沿いに広がる筑豊は明治から昭和にかけて日本一の炭鉱地帯でした。 ふるさとを出てきた人々は炭鉱住宅「炭住」に暮らしました。 大正から昭和にかけて坑内労働をした女性たち。 「先山」と呼ばれる男性が掘った石炭を地上に運び上げる「後向き」が女性の仕事でした。 もう 炭鉱しか仕事がないんですから。

300円で 結局 能美さんは親が売ったとは思っていないって言うんですよ。 家族が生きるために 能美さんは下関で身売り奉公をします。 もう何回も行ったっち言うんですよ 能美さんも。 もう 死んでやるって思って何回も行ったけど結局死んだらね その借金が全部親にかかってくるわけでしょ。 能美さんは筑豊の炭鉱で働く男性と結婚。 能美さんにとってはねそうやって ほらひとり暮らしの中で なんか誰かのためにカレーを作ってやるとか それができるっていうのは結構 能美さんも うれしかったんやろうって思うんですね。

一家は 両親の実家のある筑豊現在の鞍手町に移り住みます。 昭和19年12月8日の開戦記念日に受けた表彰状です。 徴兵で男手が足りない中朝鮮半島出身の人たちと石炭を掘りました。 表彰状では 滝本さんが頭にケガをしたにもかかわらず仕事を続けたとたたえられています。 滝本さんは「私は何もね 朝鮮の人たちを頑張らせようと思うてねしたわけじゃない」って。 その事がその 一つの美談にされて戦意を高揚するために朝鮮の人たちがねお前たちは なんていう事か」っていうふうに…。 出炭目標というのがあるんですよ。

炭住の住民が集まる公民館は当時のままです。 閉山する時どんな感じだったですか?もうみんながバラバラになったでしょ。 炭鉱がなくなるとかね思う事 なかったでしょ。 炭鉱が潰れるとかね。 炭鉱がね。 炭鉱の閉山の事 思い出したんや。 自分にとって その言葉が必要なんですよね。 井手川さんは 町と掛け合い炭鉱で働いた人たちと協力して石炭資料展示場を造りました。 一番奥には 中小規模の炭鉱小ヤマの坑内。 函を 上からかけたらもし なんかバラバラって落ちてきた時にパッと逃げようと思っても外れないんです。

最近 井手川さんのもとに若い女性が通ってきます。 川松さんは 井手川さんが女性たちから聞いた話を受け継ぎたいと 2か月に1度「地べたの声を聴く会」を開いています。 炭鉱に各地から人々が集まり炭住での盆踊りにも広がりました。 口説きの定番はかなわぬ恋の心中物語。 炭鉱の初盆の口説き見た事あるんですけどもうね 死んだ人の写真がズラーッと並ぶんですよ。 井手川さんが記録に残した女性たちは皆 世を去りました。 選炭場で働く人たちは夜中になると眠いで眠いでしょうがない単純作業なんですよ。