先人たちの底力 知恵泉「伊達政宗 超一流の謝罪術とは?」

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この番組のまとめ

今年 生誕450年を迎える伊達政宗。 僅か5年で 現在の福島県から宮城山形県にまたがるおよそ百数十万石の大名になります。 その実力は やがて天下人となる豊臣秀吉や徳川家康も一目置いたほどでした。 「ちょい不良オヤジ」という流行語を生み出し許しをもらえなければ クビさえありうるという状況の中岸田さんは驚きの謝罪術を繰り出します。 さあ では気を取り直して伊達政宗の2回目本日のコース こちらです。

小田原の北条氏を攻める事を決めた秀吉が全国の大名に出陣を命令。 秀吉を無視し続ける政宗に対する怒りの大きさが伝わってきます。 その目的は 秀吉の命令を無視し続けてきた政宗は 秀吉に会うための方法を思いついたのです。 しかし 人たらしとも言われ生来の演出家である秀吉には政宗の格好に計算がある事などお見通し…。 そう判断した秀吉は持っていた杖を政宗の首に当て…。

だから こう何か芸能界の場合って僕が 初めて編集長になった時の事なんですけれども面白いから 取材ができる並行輸入モノを…。 別に悪いわけじゃないんですけどもただ出版社ですから 僕が編集長になった雑誌以外にも雑誌があるわけですよね。 正規の その時計の日本代理店がしっかりと他の雑誌に広告を出してらっしゃるわけですよね。

まあ 謝罪の達人伊達政宗なんですけど今度は 今の世の中だからこそあえて使えるかもしれない効果的な謝罪の知恵 あるんです。 政宗が 謝罪で活用していたのが手紙。 しかも政宗自筆に こだわりました。 当時 大名は右筆と呼ばれる書記役にですね自分の手紙を書かせる事が多かったんですけれども政宗自身は 自分の手で手紙を書く事が 大変多かった大名です。 現存する 織田信長の自筆の手紙は最も少なく 僅かに3通。 そんな政宗は 謝罪の時にも自筆の手紙をフル活用しています。

政宗の命を受け書記役が書いたものですが僅か一文だけですが出発の忙しいさなかわざわざ 政宗自身が筆をとり素直な気持ちを記してくれた事に宗求は心を打たれ命を捨てる覚悟で 留守を守ろうと決心したといいます。 本来であれば軍事作戦みたいなもので政宗のメッセージが残されたら今 私たちが同じような事お手紙もらってもうれしいと思いますから当時も 中島も喜んだ。 だけど 政宗は 家臣に素直にああ 昨日は悪かったなって言って手紙を書いてるというのはね。