先人たちの底力 知恵泉・選「西郷流!こじれた人間関係解消法」(後編)

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この番組のまとめ

そんな中 西郷たちが挑んだ上野の彰義隊との戦い。 慶応4年 西郷ら明治新政府はついに 旧幕府勢力と武力衝突します。 江戸では彰義隊を応援する市民も多く西郷たちにとっては敵地での戦いでした。 大村は 現存する 3,000の兵で彰義隊を攻撃する事を主張。 彰義隊を くぎづけにし同時に 裏から 援軍と見せかけた長州兵に攻撃させたのです。 正面に薩摩 背後から長州挟み撃ちとなった彰義隊は総崩れとなります。 大村の作戦は功を奏し西郷たち新政府軍は彰義隊を 僅か半日で鎮圧します。

明治新政府に対する求心力がなくなっちゃうわけですよね。 そのためには 江戸時代それぞれの藩が 独立国家のように管理していた軍事力や財力を政府に集中させる必要がありました。 そこで政府は 藩を廃止し政府直轄の県を置く廃藩置県は各地で いまだ権威を振るう旧藩主たちの地位を奪う行為でもあったのです。 7月14日 明治天皇が…西郷の提言どおり御親兵が にらみを利かせる中自らの怒りを込めた抗議の花火でした。 実は 維新が終わった時に花火上げて「ふざけるな」と言って実は 西郷隆盛に反省文を書かせたりするんです。

しかし 要するに みんな違う方向人間関係も錯そうしてるのを一つの方向にまとめて最後は行ったわけですよね。 イノベーションを… 社会改革何のために 明治維新やったのか。 実は 「南洲翁遺訓」といいまして我々が その西郷隆盛の言葉を…こう伝わってきてるのはまさにこれが残ってるからなんですがこれは 薩摩藩の人が作ったんじゃないんです。 今 「駒」という言葉を言ったんですけど日本に 将棋あるじゃないですか。