京都産業大学のタンパク質動態研究所。 科学者としての永田さんを支えてきたのは永田さんは河野さんの死を通して身近に 人を亡くすというのは初めての経験だったんで我々 日常生命を扱ってるはずなんだけど生命というものと 命というものはやっぱり ちょっと違うんだなとそんな気がしましたね。 物理だったら 京都大学に湯川秀樹先生がおられたので湯川さんのところだろうという事でほとんど 迷わずに理学部の物理だったんですね。
これ つらい事で 一応 私も癌学会で仕事をしてた事もありがんは 専門ではないけどある程度 分かるので今の がんの治療の最先端ってどこにあるんだ?どうしたら 一番治療の可能性あるんだっていう事を外国の文献も含めて 読んで河野にも そんな話をして今 こういう方法ができてきてるんでって安心させるために 時々言ったりなんかしてたけど河野としては そんな事よりももっと自分の傷痕を触ってそれが河野の望みだったんだけども僕としては それよりは まあ科学者としてそういう思いに 駆り立てていったんだというふうに思いますよね
今でも 介護で そういう例が何度も出てますけど自分も 個人的には 非常にその気持ちはよく分かりますよね。 その歌でというかその事を自分が 私に対して投げかけている あの言葉とかああいう修羅場というのは河野自身が覚えてくれていたんだというそれは 何か変な言葉だけどとても うれしかったですね。
…という歌を作った事がありますけどやっぱり 彼女とどれだけ一緒にいられるかって。 ただ まあ あの…彼女は悲しんだと思いますけどでも それ以上に彼女が長く生きないという事を僕自身が感じていてその 残り少なくなっていく時間をとても悲しんでるんだという思いを彼女が感じ取ってくれたというのはよかったと思いますね。 彼女はね もう自分が死ぬという事を前提にした歌をいっぱい発表してるわけで。
♪~河野さんが亡くなって7年余りの間にたくさんの歌を詠まれたと思うんですけど永田さんの歌が変わってきたという事は言えるんでしょうか?すごく自在に詠めるようになったという気がしますね 今は。 ただまあ あの~…だんだんとね河野を亡くしたという事から抜け出ていく自分っていうのはこの歌集を読むと感じられるんですね。 そういう時に チラチラ チラチラと河野裕子が顔を出す。 河野裕子の存在を呼び出してるというか感じてるというかそういう自分がいるのをすごく強く感じますね。