そうですね やはり この経典の意味というのは やっぱりブッダが亡くなるに際して「これだけは伝えなければいけない事」という事がこの経典の中に 大切なものが書かれているわけでその意味でも 第4章の今回扱う個所というのはこの経典の重要なメッセージの一つだろうというふうに考えられますが もう一つこの「奇跡話」ですかね。
その他 ブッダは「対機説法」といって相手に合わせて教えを変えていったりするという事になりますとブッダの教え自体が非常に 多様に膨らんでいくという中でもってやはり ブッダ亡きあとですねこの教えを ある一定の形に収めていくというか恐らく ブッダが在世の時からこういうものは 問題になってきたと思いますけれども亡くなって以降 ブッダにとって極めて 重大な関心事になるという事は当然ですね。
「法」というのは 具体的にはブッダが説いた…というこういう言葉もございますからやはり 教えというものがしっかりとした形でもって定まっていないとその亡きあとは困るという事でもう 直接の原因になったのではないかと考えられているある出来事を書いてるわけですね。 なぜかというと「スーカラ」というのが 豚野豚を指してるもんですからそれで 「マッダヴァ」が柔らかいというのでこれは 「柔らかい豚肉を調理したものだ」という説はいまだに それをとる説…いらっしゃいますし。
あらかじめ ブッダがそれを分かっていてこれを食べさせると食中毒は 私だけで十分だともう 最初から食中毒覚悟で食べる事になってしまうのでそれは不可能じゃないと思うんですけれどもそれも ちょっと問題があるという事で。 そうですね やはりブッダが結果的には このチュンダの食事供養で食中毒になってこれが最後の食事になりますねブッダが。 最後に チュンダに供養してもらうという事でもってやっぱり どこかでブッダが亡くなるにあたって最後の食事をすると。
ヨーガにもいろいろあるんですけれども訳してるそういうものがございましてその八実習法を修めるといろんな やっぱり精神統一が 「定」ですが精神統一に至るまでにはまず 日頃の行動ですね これを慎んでいくという形でもって精神統一の準備段階を果たすんですけどヨーガの八実習法という中にもやはり戒めの部分がありましてその1か所を見てみますと例えば 「非暴力」つまりその行者さんが生きとし生けるものに対していわば 慈しみの心でもって殺めないという事を徹していくと周りの人たちも そういう敵意を捨てるようになるという。
やっぱりある程度ブッダにまつわるその神秘的な力と「ヨーガ・スートラ」で説かれているやっぱり神秘力超人的な力というのは重なる部分がございましてこれを 事実かどうかという事をお話するよりはそういうものが自然に備わるというお話が自然に そういうものがあってもおかしくないという土壌はまあ インドという宗教文化そういう精神文化を生んだ中では必ずしも 仏教が特別な位置を占めてるわけじゃないという事は見ておいた方がいいかなという事で。