日本の古典にならった大和絵での華やかなデビュー。 第二次大戦中現実の戦いを記録した…常に新しい日本画を模索し続けた山口春。 古典の大和絵の様式から目まぐるしくモダンな絵へと変化していったりそこに 画家がどのような葛藤 苦悩があってどのような挑戦があったのかってとても興味が湧きますよね。 33歳の若き春が描いた…この作品は 帝展に出品されるや特選と同時に帝国美術院賞を受賞。 日本画家 松岡映丘です。 大和絵に近代的な感覚を取り入れる事は新興大和絵会が目指すものの一つでした。
やっぱり 非常に整理された無駄のない画面ができてて牛車ひとつとっても精密に正確に描くっていう事に描かれた戦争画は 日本各地を巡回する美術展で展示され春は 太平洋戦争開戦直後に戦地に派遣され戦争画を残しています。 当時の藤田は 戦争画を描く画家たちのリーダーでした。 藤田という人が 非常にこの日本画家の山口春を意識してたと。 で戦争記録画を描く画家同士のある競争心と言っていいのかなライバル心というのかな春と共に切磋琢磨した藤田。
戦争画を共に描く中でかなり親交が深かったようですね。 藤田が ヨーロッパの戦争画を継承していくのに対して日本では 春が日本の戦争画へ挑戦していきますよね。 千住さん ご覧になってどのようなところに注目されますか?戦争画といってもいろいろあるんですよ。 ほんとに この美しかった自然が大自然が 香港がまぁ 日本軍が攻略してってるところがこんなに悲劇的に描かれてるっていうかこれはもう 先生の優しさというか泣き声が伝わってくると。
結局 山口先生 何を否定したのか捨てたのかっていうともう 全部失ってしまってぼう然としてる姿っていうのは先生の姿だし日本文化の姿だったしひょっとしたら 戦後の日本の姿だったんだと思うんですね。