アメリカンバーボンウイスキー。 アメリカの西海岸に住む…突如 「敵性市民」としてアメリカ社会から排除されてしまった日系人たち。 強制収容所の日系人たちはフレッドを トラブルメーカーとして拒絶。 カリフォルニアも含めていくつかの州でフレッド・コレマツデーがあるんですね。 アメリカは 世界各地から移民を受け入れており1940年代には アメリカ本土には13万人近い日系人が暮らしていました。 フレッドの両親も福岡県から来た移民で一方 アメリカで誕生したフレッドは日系二世。 友人の大半は日系人以外のアメリカ人。
イタリアは アメリカにとっては日本と同じ敵国ですが市民権を持つ者に対しては大規模な強制収容は行われませんでした。 村川さんは アメリカの日系人の歴史について研究してらっしゃいます。 村川さん この日系人の強制収容に対して声を上げたフレッドだったんですけれどもなぜ アメリカは 日系人に対してそのような事を当時は したんですか?成功してるとそれによって 何か自分たちの…。 フレッドは 当然 アメリカ国籍でアメリカ人ですよね。 1942年 アメリカ合衆国を相手に裁判を起こしたフレッド。
フレッドは アメリカならば きっと強制収容の誤りに気付き正しい判断をしてくれると信じていたといいます。 フレッドの裁判はアメリカ合衆国最高裁判所まで争われる事になります。 といいますのも あの時大勢の日系人たちがアメリカへの忠誠を示そうとして軍に志願するわけですよね。 逆に 自分で考えて 自己判断で自己行動をとるというそういうふうに やっぱり アメリカ人一人一人 育てられてるからおっしゃるとおり本当に フレッドさんってアメリカ人っぽいですね。