こころの時代 アンコール“ブッダ最後の旅”に学ぶ 第5回「ブッダの入滅」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

そして ガンジス川を渡ってヴェーサーリーという商業都市の近くでもって雨安居ですね雨季の時に定住をする時期過ごしてその間に ブッダは 大変 重い病にかかってしまうという事からいよいよ ブッダが入滅が近いという事を自ら自覚して実際に入滅宣言もすると。 まあ そういう奇跡話も経ながら今回は いよいよこの入滅の地に向かう足を運ぶという事になりますが距離的に 出発点からですねクシナーラーという入滅の地まで直線距離にして 200キロと言われておりますから最後の方は つらい旅じゃないかなと思いますけどね。

これは当時のインドの習俗がそうだったんですか?ここが だから なかなかね分からないんですけどもそうではないかと考えられますけれども中村先生なんかはこのブッダの寝方というのはちょっと そこのところはですね解釈 いろいろな講釈解釈あって これは後付けじゃないかと思われます。

結局 恐らく死者を供養するという時に花 あるいは 時には インドですからいろんな神々が登場してきて神々が 天から花を降らせるとかそんな 民衆の中での宗教文化の中でブッダは 自らの教えを説いてるんでしょうけどやっぱり ブッダは これは真の供養ではないという事を伝えるというところに多分 ブッダとしての特徴があるのかなと思いましてそれで パーリの涅槃経ではないですけども漢訳の方の「遊行経」という経典の中では 「覚の花」という覚というですね「覚の花を咲かせよ」と。

これを 転輪聖王と言ってチャッカヴァ・ヴァッティンとかサンスクリットで チャクラ・ヴァルティンと言って「輪を回す」という意味がそれを武力を使わないで征服する理想的な王様と言ってじゃあその輪っかって何なのかと。

それでもって 遅ればせながら願ったら もう遅いと言ってブッダから やはり その時にも移ろいゆくものだというふうにして同じ教えを説くんですけどその枕の中でも既に 前にも説き聞かせたようにという事でお前 いつになったら分かるんだという少し そういう意味では アーナンダはなかなか この 情が強くてブッダの教えでも その分ですね我々から見るとほっとするという事で一方 ブッダ亡き後の教団を率いるのは マハーカッサパという人でマハーカッサパというのは対照的ですね。

スバッダとのこのやり取りのエピソードからこれは やっぱり論争というもののむなしさというかそこでもって 議論をして誰かは間違っていて誰かは正しいと自らの主張を正しく相手は間違ってるというこういう論争の むなしさというのがブッダは 他の箇所でも説いてるという事でもってしかし じゃあどう歩めばいいのかというのはこれが 「道の人」というのはある意味では 「真の宗教者」あるいは 「真の修行者」という事でもってそこは 明確に答えはあるわけですけど誰が その道を歩んでるか歩んでないかとかいう是非 じきじきのお弟子さんに