村さんの作品は阪神大震災が1つ大きなエポックメーキングになったとご自身も そんなふうにおっしゃっておられますし読者にとっても 大きな変化を感じたりしておりますが阪神・淡路大震災の時はこちらのほうの自宅に?はい。 揺られてる間に自分の人生で自分が持っていた言葉や その世界が瞬間的に失われて それで本当に空っぽになってしまう。
実際その時になるとどうなるか分かりませんけども生きる時は生きる 死ぬ時は死ぬというふうに思えばいろんな災難… まあ病気は災難ではないですけれども例えば交通事故とかあるいは 東日本大震災とか世界は そういうふうになってるんだと思えば自分の立ち位置も それに合わせたものになりますし母親が浄土真宗の寺の出身だった事もあり「何かを強く信じ込む世界」には強い違和感を抱いたといいます。
阪神・淡路大震災の起きた90年代日本は バブルが崩壊。 ギリギリのところまで誠実に言葉を積み上げたり知的営為によってぐっと肉薄するっていうその行為自体は 大変宗教的なものかなっていうふうに思ってるんですけどもそんな実感は おありじゃ…?私は そこまではいけませんけれども凡人は 私のような一般の人間は今おっしゃった ギリギリのところまで行けるところまで行く。
この斜陽というか終わりに近づいて繁栄が終わっていくこの薄暗い時代をどういうふうに生きていったらいいんだろうかと 私は私なりにいやぁ… 私 自分の一人の人生で2度もねこんな… こんな光景を目の当たりにするのかと本当に言葉なくなりました また。 そうすると あれ私 勤めてる大学には大勢の留学生がいるんですがもう実家のほうから 「日本にいて大丈夫なのか?」っていう「すぐ帰国しろ」っていうような連絡が入ったって言ってました。
だけど 弘法大師は見えるという形でちょっと他の宗教者とは違う特殊なところに弘法大師はいると思います。 村さんが 東日本で例えば 弘法大師が見えるような体験をするような方とかそういう方への共感っていうものは…あるいは 家族が目の前で流されたというような私にとって 違和感ないんですよ。 東日本大震災もあのあと しばらくして本当に花が咲きました 被災地に。 村さんが 東日本大震災をきっかけに書き上げたのが小さな命にも温かいまなざしを向けます。