SWITCHインタビュー 達人達(たち) アンコール「伊勢崎賢治×菅原小春」

戻る
【スポンサーリンク】
22:06:48▶

この番組のまとめ

♪~東ティモールやアフガニスタンなど世界の紛争地に赴き当事者たちの武装解除を指揮してきた男だ。 一番落ち着ける場所と菅原が指定したのは…なんと 実家。 僕は Youtubeで見た菅原さんの あの時点でそれが もうものすごい踊りする訳です。 こんな… まずは エレガントで力強くて気持ちが入ってるダンス和製マイケル・ジャクソンとも評される三浦大知との共演では筋肉の緊張と弛緩を使い分けた独特の動きを披露。 感情をむき出しにするかのような力強い表現も 菅原の特徴だ。

菅原は ファッション関係につとめる両親のもとダンスの世界でその名が知られるようになった。 あの 中学生…高校生ぐらいの時にダンスが どうしても本気でやりたかったから東京の高校に通ってたんですよダンスの学校に。 で 毎日 2時間半かけて合計 電車の… 移動だけで5時間半とか かかるような生活をずっと送っててでも それでも ダンスがやりたくてみんなで引っ越そうよみたいな。 菅原は大きなエージェントの力を借りず二十歳の頃から たった一人で世界中を渡り歩いてきた。

でも インドの人たちはこのエイトカウントに私が どういう気持ちを込めてエイトカウントを過ごしたのかっていうのを気持ちを分かってくれるのかすっごい喜んでくれてわあ~っみたいな。 それはまた彼らのバックグラウンドにあるさまざまな文化に触れる事でもあった。 自分の持ち方はすごくきれいな事だなって私は思ったから それをもし 自分がリスペクトして僕は タリバンみたいな。 10月下旬 菅原は長野県の高原で撮影されたダンスに迷いが生まれた時ヒントを与えてくれたダンサーだ。

7年前から 伊勢崎はプロのジャズマンとしてステージに立っている。 もう すげえ すげえ!これらの写真は 紛争地で伊勢崎自身が撮影したもの。 世界の紛争地を渡り歩いてきた伊勢崎。 ところが運動が大きくなった結果インド政府から国外退去命令を受けてしまう。 その後 伊勢崎はイギリスに本部を持つ国際NGOに就職。 戦闘が長引くにつれ 武器を持った反政府軍は 暴徒と化し利権を巡る内戦へと泥沼化していった。

伊勢崎は まさに 命懸けの交渉を粘り強く行っていった。 それを ストリートギャング…ここでも ストリートギャング…。 ストリートギャング そのノリでこういう少年兵っていうのは…だから やっぱり ジャズもそうだしロックも その時は そうだったしラップもそうだし…どうしましょうねこういうところ。 こうした体験を重ねた伊勢崎はやがて 自らトランペットを持つ。 伊勢崎のオリジナル曲…そうなんですよ信じられないでしょう。 平和構築の第一歩となる事を伊勢崎は願っている。