そして 今最新の発掘調査がもたらした驚くべき発見がペトラの繁栄と滅亡の全貌を明らかにしつつあります。 19世紀ブルクハルトが世に紹介して以来ペトラは世界中の人々の想像をかきたててきました。 ペトラの町を築いたのはナバテア人と呼ばれる砂漠の遊牧民でした。 紀元前300年ごろ ナバテア人は中東地域の多くの部族の中で頭角を現しヨルダン南部に彼らの都であるペトラの町を築きました。 紀元前1世紀ごろ ペトラは貴重な香辛料や香料を扱うペトラ遺跡の本格的な発掘調査が始まって数十年。
ペトラは大地震に見舞われた事が分かっています。 多くの学者が この地震こそが古代都市 ペトラの滅亡の原因だと考えてきました。 考古学的証拠により壇上には多神教のナバテア人が神々を祭っていた建物があった事が分かりました。 西側に新たな門が造られ西から入った人々の視線は大地震の後 この辺りにはキリスト教が急速に普及しました。 4世紀までにはこの地にキリスト教が浸透しナバテア人もローマ人もキリスト教へ改宗しました。 363年の大地震はペトラ滅亡の原因ではなかったのです。
ある文書には テオドルスというナバテア人の男性についての記述がありました。 それは大地震から200年後もナバテア人がペトラにとどまり繁栄していた事を示す証拠です。 地学者のトーマス・パラダイスは長年 ペトラの給水システムを研究してきました。 貯水槽の水は町を縦横に走る水路を通って水路はテラコッタのパイプをつないで造られました。 非常に乾燥した砂漠地帯では局地的な洪水鉄砲水が起きる事が知られています。 鉄砲水の危険性については古代のナバテア人も十分に認識していた事が考古学的証拠によって明らかになっています。
しかし 周到に造られたはずのこのトンネルにもある決定的な欠陥がありました。 それはトンネルの天井部分で見つかりました。 シークから水を逃がすためのトンネルが部分的に封鎖されてしまいました。 災害への対策にもかかわらずトンネルから水が大量にあふれ出した跡です。 トンネルが封鎖されて水があふれあそこまで水位が上がって壁を削ったんです。 パラダイスはトンネルの高さや体積から水の量を割り出し洪水の破壊力を計算しました。 水はトンネルの先にある障害物を次々に押し流し下流の谷へと一気になだれ込みました。