フランスの彫刻家…19世紀半ば 若き彫刻家としてまずまずの成功を収めたバルトルディは更に大きな野心を抱いていました。 エジプトへ旅行しスフィンクスやピラミッドに圧倒されたバルトルディは自らの手で後世に残るモニュメントを造ろうと決意しました。 スエズ運河の建設が進んでいた19世紀半ばバルトルディは運河の入り口に灯台を建てようと思いつきます。 バルトルディは野心を果たせないままフランスへ帰国します。
ほとんど知られていませんが自由の女神像はアメリカ政府ともフランス政府とも関係ありませんでした。 自由の女神像の保守管理を任されていました。 フランスの彫刻家フレデリック・バルトルディは9年を費やし パリの工房で自由の女神を造り上げました。 アメリカ側が用意するはずの女神像の台座ができていなかったのです。 ピュリツァーはニューヨークに女神像をもたらそうと自らの新聞 「THE WORLD.」を足場にして資金調達キャンペーンに乗り出します。
当時 自由の女神像はニューヨークで最も高い建造物でした。 バルトルディ自身は この女神像を世界を照らす自由と呼んでいました。 自由の女神はアメリカを支配しようとしている秘密結社のシンボルだと恐れる人々がいました。 像を設計したバルトルディを支援したフランスの政治家 ラブレーもフリーメイソンのメンバーでした。 バルトルディはフリーメイソンのシンボルを女神像に刻み込んでいます。 だからといって自由の女神像をフリーメイソンの像などと言いかえる事はできません。
ニューヨークの港にそびえる自由の女神像はアメリカの象徴ともいえるモニュメントです。 アメリカ同時多発テロ事件のはるか以前に女神が外国の攻撃にさらされた事はほとんど知られていません。 自由の女神は爆発の影響で損傷を受けましたが2001年の同時多発テロ事件以降周辺の警備は10倍に強化されました。 ジョーダン・ワグスタッフは専門チームを率いて自由の女神像が建つリバティー島に接近するものに常に目を光らせています。 バルトルディは女神像は港を照らす事になると豪語していたので困り果てました。
自由の女神像完成100周年となる1986年アメリカとフランスの民間チームが8,700万ドルをかけて女神像の修復を行いました。 エッフェルは女神像を支える骨組みを造る事を引き受けました。 恐らく ほとんどのアメリカ人は自由の女神の骨組みを造ったのがあのエッフェルだとは知らないでしょうね。 しかし エッフェルは巨大な女神像を気に入ってはいませんでした。 自由の女神の骨組みからインスピレーションを得たエッフェルは全体が鉄骨でできた塔を建てました。