こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「ほっとけない ただ共にある」

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この番組のまとめ

地震の直後から 西原村で復興支援の活動を続けています。 鈴木さんは 阪神淡路大震災をきっかけに生まれた被災地支援のNGOに所属。 村にある一軒家が鈴木さんたちの活動拠点です。 鈴木さんには もう一つボランティアとは別の顔があります。 鈴木さんは その教えの中に被災地での活動に通じるある言葉を見いだしました。 たまたま自分が今ご縁を頂いているその 曹洞宗という宗派の中で永平寺を開かれた道元禅師が「正法眼蔵」というものを書き残していらっしゃる。

「あんた 何しに来たん?」って言われて 「ボランティアです」と言って。 「ボランティア ボランティアって そんな別に何か頑張らんでも 一日一個何かしたら ええんちゃうん」って言われたんですよね。 神戸には半年で 100万人を超えるボランティアが やって来ました。 我々 ボランティアというか。 でも 人それぞれのタイミングがあって例えば 仮設の入居の期限が迫っている状況の中で次 自分が例えば住宅の再建ができないとしたらいずれにせよ きて…くる事だろうし。

かつて支援活動を行っていた新潟県中越地方です。 今でも例えば 熊本行って「どこから来たんですか?」って言われたら 「佐賀からボランティアで来ました」って便宜上 使いますけど…きっかけとして。 でも なんか むしろどちらかといったらそういう事の方が 大事なんじゃないかなというふうに思うのでそれほど ボランティアだから被災者だからっていう事にいろんな年齢も問わずいろんな人たちが いろんな形でつながりを つくっていく。 そのための最初のきっかけが多分ボランティアって事なのかなっていうふうには。

いつどこで どんな大雨が起きるか分からないってところでそういうのが どんどん土砂崩れとかって起こしていったらそれが今度 流れ出して流木とかが下流域に被害を及ぼしたりとかっていう事にも なりかねないとなると実は ここで もともと住んでたその暮らし方の意味って下流域の生活に支障がないように被害が出ないようにしてくれていたっていう側面は大いに あるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。

でも それは 「被災地に行ってつながる事で」っていう事が大前提としてあったと思うんですけどそれ自体が かなわないってなった時に今まで そうできてたからそうやって言えてたけどっていう部分に関して…えらい おこがましい事を言ってたんだなと片や思うようにもなったというか。 動けてるから そう言えるけどいろんな環境があって 動けないっていう人たちも 中には いてそこに対しての思いを はせていなかったんだなという自分自身 思うようになったっていう部分もあるし。