釈尊が亡くなると仏教は多数の部派に分裂し人間の普遍的な問いかけを「法華経」から ひもときます。 第2回の今回のテーマ…「譬喩品」で 「三車火宅の譬え」が語られました。 今回は その譬えを聞いて…声聞たちがですね「私たちは 今の話を聞いてこのように理解しましたけれどもこれでいいでしょうか」という確認を意味する譬喩が語られるわけです。 しかし これは誤解であってサンスクリット語に戻りますとこれアディムクティというんです。
この登場人物の設定にも葉とか 目連だとかカースト制度で言えば 3人がバラモン階級の出身なんです。 声聞・独覚・菩という違いがあるけれどもそれは ちょうど植物が千差万別あるけれどもそれは全部 同一の大地から根ざしてると。 これを 更に広げていけば「法華経」が編纂されたその当時のねインドの置かれた状況が見えてくるような気がしますよね。 インド系の人もいるしペルシャ系もいるしギリシャ系もいます。 この顔ね ギリシャ彫刻にも出てくるんですよ。 ギリシャ神話の英雄がインドの ブッダのボディーガードをやってるという。
庶民としては お釈さんの代わりの信仰の対象としてストゥーパ崇拝・遺骨崇拝を…仏舎利信仰が起こるわけです。 そうすると このストゥーパ信仰あるいは遺骨信仰これは 法とも自己とも違いますよね。 そのストゥーパ信仰から経典信仰の方へシフトします。 これは 私もともと 物理学科ですから科学的な事で言えば これ科学技術の向上によってほんの僅かなもんです。 そういうようにこれは 科学技術の問題です。