あしたも晴れ!人生レシピ「見つけた!これが私の生きる道」

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この番組のまとめ

実は今 重い病気などを抱え日常的に医療処置が必要な内多さんは医療的ケア児とその家族の現状を知ってもらうために さまざまな講演活動も行っています。 こちらは2年前に作られた医療的ケア児のための短期入所施設。 生まれながら病気や障害を抱え常に人工呼吸器の使用やたんの吸引などが必要な医療的ケア児。 施設の統括役で 子供を1日何人 受け入れるのか収支の見込みは どうなるのかなどを年間の事業計画に まとめるのが主な仕事です。 大学時代 内多さんは教育学部に在籍していました。

晴れて アナウンサーとして採用された内多さんの初任地は高松。 放送後しばらくしてですね新聞 開くと…その後 内多さんはアナウンサーをしながら福祉に関する企画を提案し続けます。 内多さんが現在 働く施設のコンサルタントをしていた戸枝陽基さんです。 もちろんそのままNHKにいて安定した50代を過ごすのも家族の理解もあり…2年前に長男の悠人くんを出産。 現在 日本では救われる子供の命が多くなった反面医療的ケア児を抱える家族への支援体制が追いついていないのが実情です。

もともと 社会福祉とか社会問題にご関心がおありだった訳ですか?いやそうではなかったんですよ。 転職して良かったなってしみじみ思ったエピソード何か ありますか?もちろん子供というのは成長発達する可能性を秘めてる存在だって頭では分かってるんですけどともするとねこの子はなかなか難しいんじゃないかなって思ってしまう自分も実はどっかにあるんですよね。 秋山さんは第2の人生で見つけたライフワークに日々 取り組んでいます。 当時 総菜店で多忙を極めていた秋山さんはじっくり相手してなかったんですね。

男の子ばっかり6人もいて 戦中戦後は もう食べ物もなくて相当 大変だったろうにな」なんて皆さんが言ってくれるのを聞いたとたんに…激しい後悔だけが残ったという秋山さん。 秋山さんにとっても一人一人が歩んできた思い出の詰まった人生を聞かせてもらう事はかけがえのない時間となっています。 実際 秋山さんが出来上がった冊子をお持ちすると娘さん 息子さんが「親の生き方こんな人生だったなんて知らなかった」という感想を頂く事があるんだそうです。