そういう意味では自分がよかれと思ってやった命を大切にするとかね 道徳とか社会秩序を大切にするってのが失敗してるわけですよね。 綱吉は 戦国時代の価値観を変えるためには身内でも容赦なく処分を下しその姿勢を鮮明にします。 更に 子供や老人 病人など集落や地域で保護する事を定め綱吉は 高い理想を掲げながらも評判は地に落ち総合サービス企業グループの創業者である 志太勤さんです。
「お囲い」には餌代に 年間…現在の価値で…そうした費用は江戸の町民から徴収したため生類憐みの令と綱吉は ますます嫌われる結果となったのです。 綱吉は 自分の意図をお触れの中で町民たちに 次のように伝えています。 綱吉っていうのはもう最高権力者ですから…生類憐みの令だけではなく多くに見られるといいます。 そこを ちゃんと…志太さんは いかがですか?う~ん 何か そのすばらしいところとそれから あまりにも 何か…山本先生やっぱり 綱吉と庶民の間には意識の開きがあったという事なんですかね?それは そうですよね。
続いてはですね組織作りで失敗した綱吉の四代将軍の家綱は幼くして将軍になった事や病弱であったために政治を譜代大名に任せる事が多かったためです。 老中たちが合議で決めた政策は側用人に託され側用人は その政策を綱吉に取り次ぎ 認可を待ちます。 綱吉は 老中たちが決めた政策を気に入らない時は それを否決し側用人を介して老中に差し戻します。 政策決定システムを 側用人という壁を作る事で改革した綱吉。
側用人制度自体はね結構 当たり前のところがあってそれまでの将軍というのは代々 長男で続いてるので自分の幼い頃から小姓がついてるわけですね。 それを潰して自分の側近をつけるかというとそうじゃなくて 綱吉はやはり それは尊重しながら自分の意思を きちんと老中に伝えられるようにというんで自分が 館林藩の時から一緒にやっている柳沢吉保なんかを側用人にして連絡係をやらせるんですね。