こころの時代~宗教・人生〜「古(いにしえ)の大和へ」

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この番組のまとめ

私の故郷の曽爾村というとこは奈良県の宇陀郡の一番東の端でね三重県との県境ですが非常に古いしきたりや いいものがたくさん残ってましてね。 神武天皇がね 宇陀長田に入ってこられるっていう話が記紀に載ってるから宇陀郡の人っちゅうのは国の始まり大和国やと 郡の始まりは宇陀郡やっちゅう事で非常にね誇りを持っとるんですわ。

広大な森に抱かれるように立つ今年 創建1,250年を迎える…この春日大社に奉職しました。 春日大社っていう神社はどういった神社なんでしょう?あのね よく藤原氏の氏神さんやいうてね おっしゃんねんけどそれは ある側面でね。 春日さん 何の神さんですかってよう聞きはる人いはんねんけどそれは天下国家 皆を守って下さる神様ですという説明になりますな。 たくさんある神社の中でなぜ岡本さんは春日大社を選ばれたんですか?これは ご神縁ていうかね。

これはまあ平安時代以来の連綿たるしきたりを踏襲されていて非常に尊い神事なんでそれを 勉強させてもらいに行ったんですわ。 その中でね どうしても私は奈良県出身やから春日さんにご縁があって時々 遊びに行かして頂いたりお祭りのお手伝いを行かして頂くうちに花山院親忠宮司さんという方がおられてこの方は 立派な方で学者宮司さんでね。 そしたら神主も100人ほどおるしそれからもう 平安時代以来のしきたりも きちっと残してあるそれだけのすごい基盤があるとこですわな。

原点に戻る ですか?原点 元へ お祭り戻さないとねどういうふうな形でするべきなのかって事の根拠がないのでそれで古儀に服すって事は大変 大事な事なんでそれを一生懸命さして頂いた。 わざわざ記録にとどめんでもええがなって事があるけどねそういうものをいかに拾うかって事が古儀の復興については大変大事な事ですねん。 おん祭の古儀復興する時にね「馬長児」っちゅう稚児が興福寺から出てくるねん。 この大事業でも 岡本さんは祭祀の責任者として古儀の復興を手がけました。

だから日本人の信仰っつう価値観ってのは即実践って事や。 だからもう1回ね 神社仏閣やとか儀式 祭礼 法会ってものを改めて体験さして頂くなりすると勉強になりますな。 「あなた古儀復興されてますけどどの時代の古儀 復興されたんですか?」って言う人おって。 私は神主やから 時代よりも神様に最高の礼を尽くす儀式を元に戻したかったんやと。 しかし 室町以降近世 近代の美術工芸にはこれまで ほとんど光が当てられてこなかったと岡本さんは言います。 岡本さんは こうした「大和古物」と呼ばれる工芸品に注目しました。

更に 茶道文化に育まれ奈良の歴代藩主に愛された…供物をのせる漆器には蒔絵や螺鈿といった岡本さんは これらの作品を多くの人に知ってほしいと書籍や論文にまとめ発表してきました。 奈良を歩き回り一つ一つ集めてきた大和古物。 岡本さんは大和古物と呼ばれる骨董品を集めてらっしゃいますけども大和古物というのはどういったものなんでしょう?大和古物いうのはね え~…。 私はよう 「歴史の金太郎飴でっせ奈良は」って言うねんけど室町折ったら室町出てくるねん江戸折ったら江戸出てくる。 長い伝統に裏付けられた大和古物の精緻な技。

せやから一手間 二手間 三手間惜しまないって事や。 何十年たたんと模様出てきぃひんねん。 もう はるか昔に本人さんは亡くなってるわけやけど後の人が やっぱりそこでめでるっちゅう そういう…100年 200年先を見据えた作品作りっていうのは目に見えないところをきちっとしていないと できない。 この日訪れたのは筆管師萬谷雅史さんの工房。 ものすごいチャレンジ精神あるからねだんだん技術深めていってはるわけ。

やっぱりこの奈良っていう土地が果たす役割って大きいですか?だから そういう意味ではねこういう歴史が一貫してるとこ加えてね商売っ気のないとこですわ。 だから それは是非ここへ来てね土地の記憶いうのがあるからねここで味おうて頂くとあぁ 日本人って捨てたもんやないなぁ我々の祖先っていうのはすごかったんやなっていう自覚をして頂くのには大和っていうのは最適な場所やね。 私 大体ね大和が深いとこやとか 春日大社が深いとこやって分かるのに30年かかったんや。

で 神や仏の世界っていうのは真実の世界やからねそこへ人間の打算持ち込んだらいかんわけや。 本人は どう考えても奇跡やこれは神仏のご加護やっちゅうの分かんねんけどそれは人に説明してもダメですわ。 岡本さんは今 機会あるごとにこれまで培ってきた知識や経験を若い世代に伝えています。 さあ そこで包む 結ぶっていうのは日本では 非常に宗教的な意味合いがございまして…。