ドキュランドへ ようこそ!「走る要塞 ヒトラーの専用列車」

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この番組のまとめ

♪~1930年代ナチスドイツのヒトラーも自らの権力にふさわしい特別な列車を造らせました。 総統の暗殺計画で 列車自体が狙われた事もありましたがアメリカ号は難攻不落の鋼鉄の野獣でした。 さあご一緒に ヒトラーの専用列車「アメリカ号」に乗車しましょう。 1937年 ヒトラーはドイツ国鉄に自分専用の特別列車を発注。 「アメリカ号」を見たナチスドイツのお偉方は 皆「アトラス号」 「大西洋号」などと名付けられました。

ベルリンを出てポーランド北西部の小さな町ポルチン・ズドルイへと向かいました。 ヒトラーは 2日前にポーランドに侵攻し第二次世界大戦を勃発させたばかりでした。 客人用の寝台車の すぐ後にあり最初の部屋には2,000リットルの給水タンクが2つ取り付けられました。 ヒトラーの 「偉大なるドイツ帝国樹立」の夢は実現しつつありました。 ヒトラーが ベルリンに戻るとアメリカ号は いつもどおり首都近郊にある空港の一画に留め置かれました。

列車自体は 前後に連結された対空砲搭載車で守られていました。 「精密」とは 今風に言えば「外科手術のように正確な」という意味でフランス軍の中枢を 電撃戦で一気に無力化するものでした。 ヒトラーは ドイツが第一次大戦の敗戦を受け入れたコンピエーニュの森の同じ車両でフランスに調印を迫ったのです。 ヒトラーの専用列車を牽引したさまざまな機関車の中で最も有名なのは1942年に登場したBR52です。 1940年 ヒトラーはフランス横断の一大旅行を計画します。

フランス国鉄の職員たちは特別列車が通過する時線路や橋は全て爆発物がないかどうか念入りに確認されました。 外相リッベントロップの列車も既に着いていました。 モントワールはパリの中心部から外れたアンダイエ線の駅でトンネルが近くにありました。 ヒトラーはリッベントロップ外相と共にラヴァルを出迎えました。 アメリカ号は リッベントロップの列車に続いて夜のうちにモントワールをたち翌23日の昼過ぎにアンダイエへ到着しました。 そのため 双方の列車はアンダイエで足止めとなり先には進めませんでした。

ヒトラーは夜のうちに出発し待ち望んだペタン元帥との会談のためモントワールに向かいました。 午後6時 フランスの国家元首ペタン元帥がラヴァルと車で到着しました。 ヒトラーは 専用列車のそばのホームの屋根の下で辛抱強く待っていました。 だから 暗号機を使うにはリビング・カーと通信車2~3両そして 身辺警護隊の車両を郵便局の電話交換台とつながなければなりませんでした。 既に ハンガリー ルーマニアブルガリアを制圧していたナチスドイツはギリシャへの入り口だったユーゴスラビアをも支配下に置きました。

その翌日 アメリカは日本に宣戦布告。 軍事同盟を結んでいたドイツとイタリアも12月12日アメリカに宣戦布告しました。 アメリカに宣戦布告したヒトラーにドイツ人はひどく驚いたと思います。 しかし 歴史には紆余曲折があり「総統特別列車」という俗称の方がよく使われ一方 イギリスではナチスの暴走を止める方法が模索されていました。 かつて 専用列車の給仕をしていたドイツ人捕虜がヒトラーが飲む水が入ったタンクの場所を明かしました。