ドキュランドへ ようこそ!「ピーターラビット 生みの親を訪ねて」

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この番組のまとめ

有名な挿絵画家クェンティン・ブレイクがビアトリクスに代わって筆を執ります本当にワクワクしますね!ビアトリクス・ポターが時代を超えて 輝きを放つ理由をお話ししましょう彼女の人生はここから大きく動き始めます旅には 「ピーター・パイパー」もお供しました。 スコットランドで この日ビアトリクスが生み出した最初のそして 一番有名なキャラクターが誕生しました。

弟は コウモリを飼っていましたが寄宿学校に入る時ビアトリクスとバートラムはペットの事をつぶさに観察していました。 ルパートは よく 娘と科学分野の最新の話題について話し合いましたビアトリクスは学問上の新発見を巡って議論するような知的な家庭で育ちました。

周囲の反対をよそにビアトリクスも自費での出版に踏み切ります。 それでも諦めず ビアトリクスは7つ目の出版社 大手のフレデリック・ウォーンに作品を売り込みましたフレデリック・ウォーン社に出版したいと言わせたら大変な快挙です。 この時は まだモノクロでした出版社側は挿絵をカラーにしたがりビアトリクスは線描画にこだわりました。 本は大人気になりビアトリクス・ポターは 36歳で売れっ子作家の仲間入りをします初版の8,000部はなんと 予約だけで完売しました。

ビアトリクスは 兄 ハロルドとはよく意見が ぶつかりましたが末っ子のノーマンとはとても気が合いましたアドバイスが欲しい時にノーマンがつかまらないとビアトリクスは途方に暮れました。 婚約から3週間後両親は 結婚生活を夢みるビアトリクスをロンドンから連れ出しましたネズミとウサギとハリネズミのティギーおばさんを連れてウェールズに旅立ちました。

今でも とても静かでたくさんの生き物が暮らしていますビアトリクスは出版社に大好きなカエルの話を書きたいと言いました。 「ジェレミー・フィッシャーどんのおはなし」は出版と同時に2万5,000部が売れましたビアトリクスの勢いは衰えませんでした。 ビアトリクスは 30年以上ハードウィックの保護に努めお父様は実際にビアトリクスと会われた事があるんですって?まだ小さい時分に。 父が子どもの頃 ビアトリクスはハードウィックの品評会で審査員をしていたそうです。

1911年ビアトリクスが湖水地方のヒルトップ農場に移り住んで6年が経ちました。 ヒーリス夫人として幸せに暮らす一方 ビアトリクスの中では出版社の経営者 ハロルドに対する疑念が膨らんでいましたフレデリック・ウォーン社の看板作家だったにもかかわらず印税の小切手を受け取るまでに何か月も待たされていました。 それが一族の詐欺行為のせいで倒産の危機に陥るなんて会社の危機を救ったのです湖水地方ではヒーリス夫人としてのみ生きる事を選んだビアトリクス。

彼女の遺志で公の葬儀はなく お墓も作られずひっそりと送られましたそしてビアトリクス・ポターを敬愛する世界中のファンにとっては世代を超えて愛されるピーターラビットとその仲間たちの生みの親であり続けるのです。 第一次世界大戦のさなかビアトリクスは 出版社に物語の構想を話しました実現しませんでした。 もし その時 出版社側が乗り気になっていたら物語は完成しているもののビアトリクスの挿絵はこの1枚しかありません。