♪~石牟礼道子さんが愛した海不知火海。 近代化で失われる前の人と自然とが共にあった豊かな暮らしを描いた「椿の海の記」や文明の病として水俣病を描いた代表作「苦海浄土」三部作などおよそ60の著作を著してきました。 石牟礼さんは 外から入ったジャーナリストや作家としてではなく地元で暮らす一主婦として水俣病患者に出会いました。 石牟礼道子さんが遺した言葉をたどりその人生を見つめます。 石牟礼道子さんは昭和2年熊本県の天草に生まれほどなく水俣に移りました。
水俣の北 不知火海に面する漁村芦北町女島です。 ここに 石牟礼さんに深く共感しこういう時は 普通の凪やけども。 緒方さんは 石牟礼さんと出会いそれまでの運動にはない考え方に目を開かされたといいます。 水俣病患者のための施設明水園です。 石牟礼さんは患者さんの家々を訪ね歩く中で半永さんの一家と出会いました。 老夫婦は 石牟礼さんの事を「あねさん」と呼び心を許していました。 石牟礼さんは 「苦海浄土」の中で一光さんの事を思えばお前がキツかばっかりぞ。
それでも石牟礼さんは 一人「苦海浄土」の中で杢太郎少年として描いていた半永一光さん。 石牟礼さんは 栄子さんが常々語っていた言葉をそれで杉本栄子さんや緒方正人さんたちがこげんきつか病気は誰にも病ませようごつなか。 石牟礼道子さんがその手のしびれの事を常に心配されて 電話で手のしびれは大丈夫ですかと本当に心配されてですね電話をして頂いて本当に ありがたいと思った事が何度もあったですけどね。