高橋さんは 横山大観どういうところがお好きなんですか?この人は長生きして明治大正昭和と3つの時代を生きたんですよね。 さあ そして鶴見さん今回の展覧会どんなところを見てほしいと思ってらっしゃいますか?横山大観は今では大家だったり巨匠だったりとして有名なんですけれども若い頃 よく言われていたのがどこが そうだったのかというとさまざまな作品の中で自分なりのアレンジをしたりですとか人が思いもよらないような主題を描いたりですとか。
大観を研究する 佐藤志乃さんに酷評の理由を聞きました。 刷毛を使った事によって大観たちは左官屋のようであるとかペンキ画のようであるとか言われ方をしました。 どれほど非難されても大観は 「朦朧体」を続けます。 インドで取材をした時大観の興味深いエピソードを聞いたといいます。 横山大観がしばらく滞在していたのがタゴールという インドの大詩人の家だったんですね。 これは ナイアガラの滝と万里の長城を描いた屏風でございます。 万里の長城にも 大観は何人かと連れ立って 行っています。
その塗り残しによって白を表すっていうのは水墨画の とてもオーソドックスな技法なんですよね。 目鼻だちが はっきりとしていて日本画というのは日本という言葉を持った絵画世界ではあるんですけれどもそういった枠の中に収まらずもっと外へ出ていこうとそういうふうなアグレッシブな考えで 自分の作品あるいは 作風というのを次から次へと変えていくまさに そんな時代だったと言えると思うんですね。 大観先生っていうのはね神様のようにね院展の人たちは思ってました。
そんな横山大観が 明治の終わりに描いたのが こちら。 実は 枯れ葉の茶褐色に今までの日本画にはない顔料が使われていたのです。 でも 実際描いてみると本当に緻密に計算された作品。 和洋折衷が もてはやされ以前にもまして自由な表現が花開きます。 大観が生前 大事にしていたものを大観55歳。 水の流れと 一日の流れそして季節の流れで 無限のループを繰り返すというふうな構想のもとに描かれているのが「生々流転」です。 そこは大観見せ方は お手のもの。
僕ね まあ画家によって違うと思うんですけども特に大観は ある時期から結構 自分の無意識を描いていると思ってるんですよ。 20枚に及ぶ連作を描いた大観はその報酬 50万円今で言えば 数億円余りを陸軍と海軍に献納。 まあ 僕らの言葉で言うと戦争協力ですけれどもでも 当時の日本人にとっては圧倒的多数の日本人にとってはいい事してる。 僕 ちょっと今回 大観の絵を見て思ったんですけど大観にとって 戦争って自然現象なんですよね。