100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて2▽無名なものたちに照らされて

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この番組のまとめ

ここに 国立ハンセン病療養所長島愛生園があります。 この本は ハンセン病を生きた人々などある意味では自伝のような本なんですね。 さあ それでは まずは神谷美恵子の生い立ちと「生きがいについて」を書くに至った背景を見ていく事にしましょう。 神谷美恵子は…父は 内務省の官僚で小学校時代を スイスフランスで過ごします。 長島愛生園は…ハンセン病の人々はひどい差別を受けていました。 最初は研究目的でしたがやがて 神谷は人間 対 人間として患者と向き合うようになります。

神谷さんに これを書かせるほどの思いを抱かせたハンセン病の患者さんたちがいたわけですけれどもその心を表す言葉があります。 これを書いたのは志樹逸馬という詩人としても 大変優れた人だったんですけども。 その人生っていうのは むしろ味わうべきものだっていう事をこの人は私たちに教えてくれていて…神谷が 志樹逸馬に出会った当時彼は 39歳でした。 かなりの重症患者で松葉づえにすがって歩き髪の毛は真っ白だったと神谷は書いています。 そういう人の思いをやっぱり 志樹逸馬は背負って生きた人じゃないかなと思いますけど。

そのハンセン病の人々から生きがいを学んだ神谷美恵子なんですが その後自分自身を見つめ直していく事になります。 長島愛生園を初めて訪れた心境を神谷は詩に表現しています。 大学での研究 そして子育てに忙しい日々を送る中神谷は大病を患います。 実は この事がきっかけで長島愛生園で働く事を決めハンセン病患者と向き合うようになったのです。 神谷は 神戸の自宅から片道5時間かけて岡山の長島愛生園に15年間 通い続けました。 神谷美恵子の特性ってのがあると思うんですね。