放射状に並ぶ 仏たちは大日如来の慈悲がさまざまなかたちで♪~「こころの時代」では 「マンダラと生きる」と題しまして今まで ご紹介したのと違いますよね。 特にこのマンダラの場合はですね弘法大師・空海が唐から持ち帰ったものを可能なかぎり忠実に復元しようという本当に美しいというか鮮やかなものですね。 一つは 放射状に仏が並んでいるこの「胎蔵マンダラ」。 大悲というのは マンダラにこう 仏様が…中心を見て頂くとですね大日如来という仏様が坐っておられて…。
ですから 密教の立場からすれば生身のブッダが説いた教えよりも真理そのものである世界の根本である大日如来が説いた真理の方がずっと上だよという認識があるわけです。 はあ~! でも ブッダの悟りに至るのも大変なのに大日如来の説いた真理にたどりつくってこれ大変な事ですよね。 胎蔵マンダラの叡智を一つ一つ読み解いていく事で大日如来の奥義というか悟りの究極の その真理にたどりつけるという事ですよねじゃあ。
その 見た目が違っても大日如来である事のですから 相手に合わせて姿を変えていくわけですよ。 だから いい事だけじゃなくて悪い事も含めて私たちに教えたり諭したりしてくれるというまあ そういうイメージで大日如来という存在を捉えて頂くと 割に近いかなぁという気がします。 「大日経」という 大日如来のお名前が付いてますけど「大日経」と一般に言われている経典ですね。
まあ そう言ってしまうとちょっと強制力だけが表に出てしまいますけれども本来は やはり理屈だけではなくてあるいは慈悲の心を持っていてそれだけではやっぱり駄目なのでとりあえず眼前に苦しむ人々がいれば理屈抜きで救いなさいというのが「三句の法門」の本来の意味だと思います。 まあ 密教以前のタイプの仏教ですとね「菩提心を因とし 大悲を根となし」までは あるんですけどその実践が最高のすべであるというか実践しなければ 駄目だよとまではなかなか断言しないわけですよ。 あの マンダラの外周の外金剛部院。
それが ある意味で この胎蔵マンダラ全体を通じて言える事かもしれないんですよね。 ですから とにかく私たちが接する森羅万象ことごとく色界 欲界 無色界の三界それから 六道輪廻の六道そこにいる有象無象のもの全部という意味ですよね。 これらの 輪廻にとらわれた6つの世界のものたちも胎蔵マンダラには描き込まれているのです。 本来はねヒンドゥー教の神様が帰依したという事で描いたんでしょうけども解釈によって やっぱりこれも六道輪廻の住人である事は間違いないですね。
それがきっかけになって悟りへ向く事もあるわけでそこにも実は 大日如来の力が及んでるというかそれも大日如来の心とどこかで通じてるという大事かもしれませんけどだからといって 全部それをズバッと切っちゃうと切るごとに 心のエネルギーがどんどん減っていってきっと 動けなくなっちゃいますよね。 初期仏教の世界観である須弥山世界。 須弥山とは 古代インドで 世界の中心にあると考えられていたそして 須弥山の麓には海が広がっています。
しかも それが大日如来を中心としてあまねく平等な等距離といいますか 描かれていて大きいですよね。 胎蔵マンダラはそれらを取り込む事で宇宙的な広がりを持つ世界観をつくり出しました。 空海は若き日故郷・四国の山々や阿波の 大滝嶽に登り土佐の室戸岬で修行をしていたところ金星が口の中に飛び込むという鮮烈な体験を得ます。