そんな新橋の芸者にとって年に一度の晴れ舞台それが…94回目を迎えた今年は「古典で見せる新橋の芸」と銘打って歌舞伎舞踊の名場面にも挑戦しました。 今日は 新橋の芸者衆による華やかな舞踊を楽しみつつ芸者文化の「いま」を見つめます。 で この新橋の界わいに料亭だったり お茶屋さんが新喜楽さんです。 何か すてきなお軸がありますけれど これは…?「東をどり」は 新橋の芸者さんの舞踊を楽しめる舞台なんですよね。 今年も 新橋演舞場を舞台に第94回となる「東をどり」が開催されました。
新橋の芸者の数は およそ今 50人というふうに聞いたんですけれども新橋の花街の特徴というのはどういったところになるんですかね?まあ 一口に言いますと銀座の芸者だって事ですね。 それと やはりお客さんが 昔から 明治以来ここの新喜楽さんの常連だった伊藤博文公とやらそういう方たちの社交場だったのでお客さんが偉かったからそのお客さんたちにまた鍛えられて 新橋の芸者の風は定まっていったのだと思います。
お二人にとって「東をどり」というのはどんな意味を持った公演なんでしょうか?新橋芸者にとって一番大事にしなければいけないものだなと思います。 新橋花柳界の顧客であった文豪や 画壇の名士が参加し新たな舞踊劇を次々と発表していきました。 谷崎潤一郎 舟橋聖一が組んだ名作「少将滋幹の母」などは歌舞伎に取り入れられたほどです。