根津の清水谷というところに年若な浪人者で萩原新三郎という人がおりました。 一体 どうしたんでしょうか?しばらくは 何食わぬ顔をして根津に住んでおりましたけれども頃合いを見計らって伴蔵の故郷 日光街道の栗橋の宿へと移り住みます。 急に 伴蔵大尽気取りになりまして身なりに凝ったりしてぜいたくをしております。 それを連れて あちらこちら飲み歩いておりますうちにたまたま 笹屋という料理屋の仲居をしておりますお国という女と懇ろになってしまいました。
旦那が言ってたよ。 あのさ うちの旦那お前を気に入ってるからこそよく 笹屋さんに連れていくんだろ?あれさ一人じゃ行きにくいからねぇ。 旦那どんは ほかに お目…。 実はね こないだねあたしが ちょっと鎌かけたらねうちの人 すっかり ベラベラベラベラ しゃべっちまってさ『この事 久蔵に聞いてみな?きっと しゃべらない』ってから『あら どうして?』って聞いたら『やつに しゃべるなと言ったからやつは バカっ正直だからバカの一つ覚えで何にも言わないだろう』ってさ2人で 大笑いしちまってさ。
なあ おい お峰一本 つけてくれろ。 寝酒 一本 つけろよ」。 「どうもな 俺が遅くなったり泊まってきたりするもんだからほかに 女でもできたんじゃねえかと勘ぐるのも無理はねえけれどもよ江戸育ちの俺がここらの ひなたっくせえ女に手ぇ出す訳がねえじゃねえか。 なあ 機嫌直して 一本 つけろよ」。 それも 昨日今日じゃない。 そうして深入りしないようにってんで1両から3両 5両とだんだん増えてってあげくの果ては20両出したってえじゃないか!」。
あの時のお前ときた日にゃ稼ぎがないもんだから女房一人 養えない。 だから あたしはご近所の針仕事から使い早馬に身を粉にして働いて夜は夜で 夜なべしてまで所帯 支えてきたんだよ。 『なあ お峰 これ 寒くなったから袷にしてくんねえか』ってから鮭の船場煮で一生に いっぺんでいいからうめえ酒が飲みてえって愚痴こぼした事があったろ!あたしゃ かわいそうだと思ってなんとかしてやりたいと思って寝る目も寝ないで 夜なべしてやっとこさ 酒買ってきて「分かった 分かった。