そんな中 アメリカでは 今社会主義の成立を願う若者たちの姿も。 そもそも マルクスは資本主義経済が高度に発展したそのあとに自由で平等な社会主義がつくられると考えた。 それに対するある種のオルタナティブとして自分は この階級社会でこれだったら チャレンジして 起業して資本家になりたいっていう今日 学生も来てるんですけどそういうのにすごい びっくりしましたねむしろ。 自ら 自由で平等な社会主義経済をつくる…。
例えば 300年ぐらい前の時でも例えばイングランドだったらすごく 国内で投資… まあ要は投資する対象がどんどん増えていく時期というのがあって ちょうどイングランド銀行が始まってそれでベンチャー企業バーッと出てくるんですよね。 前田君の周りの起業家とか前田君自身も私欲追求型の起業家って 最近あんまり… いないっていうか流行んない気がするんだけど。
ただ よく言われる例ですけどWikipediaとかLinuxみたいな感じでみんなは別に競争しないで他人と貢献してシェアしたいっていう気持ちから あれだけ大きなプログラムとかが出来たりするわけですしシリコンバレーの例も挙げられましたがそれであればクラウドファンディングみたいな形でそういう挑戦心のある人を応援したいっていう人たちも出てきてる…。
例えば Uberとかだって上場しますとかって言ったら上場して資本市場でお金を集めたら資本主義の仕組みの中でロジック動くじゃないですか。 シェアリングエコノミーの実践例として 注目を集めている。 タクシーも倒さなきゃいけないし他のシェアリングエコノミーUber2みたいなの出てきてUberのビジネスモデル パクって誰かがやろうとしてもそれは潰さなきゃいけないじゃないですか。
その分散っていうのは前田さんみたいな社長さんがでも マルクスの時代ってそれこそ 工場を持ってないと資本家になれなかったとかだと思うんですけど今って別に ほんとタブレットとかスマホとかでビジネスとかできちゃう時代だから資本家と労働者って 昔ほど強固な対立関係でもないのかなと思えちゃうんですけど…。 労働者たちが買うって言ったらその企業が ある種の協同組合で労働者たちが自分たちで生産を管理するような水平的なメカニズムで実際に どのくらいできるんだろうかっていう…。
実際に与えてみたらそういう経験を通じて自分たちで会社をどう運営するのかっていう民主主義的な経験がどんどん広まって…。 自分じゃなくて誰かがやってくれるのを待って誰かが変えてくれるのを見てるっていうのが一番お得だけどそうじゃなくてみんなを参加させる仕組みってどうやって つくれるんですかね?だから やっぱり まず…そうしたら 経営にもどんどん参加できるから民主主義的な経験ができるんじゃないか。
そうなってくると…そういう中で やっぱり共感みたいなものまで どんどん商品化されちゃうっていうかこれは なんか いいんですかね?だから 共感をビジネスにするっていう事で一時的な先のばしにはなってると思うんですけどやっぱり 車とかiPhoneみたいなものに比べたら雇用する人数も全然違うしそこで動くお金という意味でも資本蓄積の観点からいっても全然小さいと思うのでやっぱり行き詰まるのは もう早晩くるかなっていう気はします。
可処分精神って 僕らの精神って割ける… 何かに振り向けるのには限界があるからその100%の可処分精神をちゃんと振り向けられる…ちゃんと たくさん奪える主体が勝ってくと思ってる中では多分 さっきのエンターテインメントの話はライブとか映画ってすっごい 人の可処分精神奪ってるんですけど…。 時間までが商品になるっていう資本主義は果たして持続可能かっていうとどうなんですかね?それとも無理があるのか?さっきの可処分精神を正しく奪っている企業体やサービスやモノや人が永続的に繁栄し続けるっていうのは すごい思ってます。
キーワード出されてましたけどもそういった 人々の気持ちも要は 奪い合う対象にしたいっていうふうになってった時にじゃあ これまでだったらば7時間寝れたとか6時間寝れたっていうのはどんどん どんどんそういった時間を奪い合ってこれもしたい あれもしたいこの人と こんな事もしてみたいっていうふうに やっていくうちにどんどん どんどんと睡眠時間が減っていくかもしれしない。
いろんなサービス… 図書館であるとか学校教育であるとか労働組合にしたってそういうのって やっぱ人々の つながり合いから出来てきた制度であってそれは別に 資本主義の商品交換がつくり出す制度じゃないけれど今の僕らが生活する中で極めて本質的なパートになってきてるわけですね。
だけど もちろんそこまで受動的に待ってたら多分 環境問題特に地球温暖化が極めて深刻な事になってしまうので早く移行する 意識的に移行するっていう意味であらゆるものを商品化していく資本主義…。 私たちに今 本当に必要なものは?差異を求めるゲームの果てに待っている光景は…?すごい疑問があるんですけどそこに対してはどうなのでしょうか?Wikipediaみたいなものと考えたらいいと思いますね。
今日 斎藤さんのお話を聞いてそこに 社会主義のエッセンスを入れるっていう発想がやっぱり そういう意味でいうと社会主義的なものさえも商品化して お金もうけの手段にするような力がもしかしたら資本主義の中にはあって歴史において そういう意味で社会主義 共産主義っていうのはいわば 負け続けてる周辺の歴史だとは思うんですけれどその中で ただ エコロジーとかっていう問題に直面する中で今までの在り方に縛られないような世代が出てくれば少しは状況も変わってくるのかなっていうふうにちょっと オプティミスティックに考えたいなと