ヒップホップグループライムスターのラッパー 宇多丸。 ライムスターは日本語によるラップの黎明期から最前線を走り続けてきたグループ。 ヒップホップの歴史の本日本語ラップの本なんかをひもといてみると…対談前日。 畑中は ライムスター主催のフェスに やって来た。 ヒップホップの音楽には ほとんど触れた事がないという畑中。 人間交差点!ありがとう!今 ヒップホップはロックやポップスに代わってファンを増やしつつある。 50代になって ヒップホップのライブ初体験の畑中。 ライムスター 宇多丸と申します。
RUN−DMCっていうのが1980年代半ばに大ブレークするんですけどここで 何て言うかなヒップホップの 今までのずっと 生まれてからレコードになってという歴史の中でここで初めて…元は 70年代初頭のニューヨークのブロンクスという地域で生まれた文化でラップがあって DJがあってそして 皆さんがブレイクダンスと言うbboyingとか言ってますけどブレイクダンスがあって。
♪「きっと映画や漫画の見過ぎ甘いコトバ聴き過ぎ」ライムスターのほかのヒップホップのユニットとの一番大きな違いというか個性というのは宇多丸さんの中ではどういうふうな部分だと捉えてらっしゃいますか?ああ これは面白いな。
なので それが その特にラップ的な表現の可能性をう~ん やっぱ その社会的 時局的な事っていうのは例えば 時事的な事っていうんですかねセプテンバー・イレブンの事を歌われてたり「ダーティーサイエンス」は恐らく原子力発電の問題とかを取り上げられてたりしてると思うんですけど…。 例えば セプテンバー・イレブンのあれが起きた時にアメリカ映画も 直後の表現ともうちょっとしてからだから 2018の今ともまた ちょっと違うっていうか。 宇多丸は ラジオパーソナリティーの活動も15年近く続けてきた。
ラップの ヒップホップの未来っていうものあるいは この社会の未来でもいいんですけども未来っていう事についてどういうふうなイメージをされてますか?ヒップホップは やっぱり今 本当にロックをついに凌駕してところが その世界的潮流に唯一 ガラパゴス的に取り残されている…それ 常に そうじゃないですか仏教の時から。 あと その ヒップホップに対する無理解があると僕みたいな おじさんの出番があるっていうかあの 若い子はね 黙っててね。 およそ100年前民俗学者 柳田國男がまとめ世に出した「遠野物語」。
日本の社会っていうのは先ほど ダンノハナとデンデラ野と村里の構造とか時折 死者の人が書いたものであったりあるいは亡くなった人が言ってた事がいきなりよみがえってくるっていう時にそれは…レコードショップに整然と並べられてるものはもはや 掘られ尽くしてもう どっかの雑貨屋で投げ売りされてるようなものを探してくるとか昔のレコードのはずなのにとっくに死んでしまった人のレコードなのに新しい音楽として響いてしまう感じだとか僕が感じたヒップホップに感じた可能性で…古いものの中にも新しさはあるしそして 新しいと思ってたもの