まあ 例えば…蒲生氏郷。 その人物とは 蒲生氏郷。 岸見さんは 蒲生氏郷の人生から現代にも通じる知恵をどう導くのでしょうか。 実際 蒲生氏郷は秀吉からは嫌われていたと。 蒲生氏郷が 年は下ですけれど…そういったあれが ありますね。 そして花婿は14歳の蒲生氏郷です。 当時 蒲生氏は戦国大名・六角氏の配下にあり人物を見抜く事にたけている信長は氏郷の第一印象をこう残しています。
本能寺の変から2年後の1584年氏郷は近江日野から伊勢松ヶ島へ領地替えを命じられます。 しかし 伊勢松ヶ島は 北に織田信雄という敵対勢力と接し領内にも 反秀吉勢力がくすぶっていました。 伊勢松ヶ島に赴いた氏郷は国境の警備力を高め領内の反秀吉勢力を一掃しながら 町づくりに着手。 氏郷が会津黒川に赴いた頃肥後の国で一揆が発生しました。 あの やっぱり伊勢から…まあ 会津黒川というのは今の会津若松ですから まあ当時はかなり遅れた地域ですよね。
でも まあ… でもね 先生やっぱり哲学者というかまあねいろんな経験されてるから人間の その本質のメンタリティーの部分からの支えになる存在があったという事なんですね。 氏郷が頼りにしていたのはいざという時に団結する家臣たちの存在です。 自分に不満を抱かせない巧みな方法で家臣たちをまとめていた氏郷。 手柄を立てた家臣に 十分な恩賞を与えられなかった氏郷は一計を巡らします。 やっぱり この時 氏郷が与えられた土地というのは…という思いが強いんで…相当なプレッシャーになったんじゃないかなと思いますね。
愛情と実利って 今でいうと愛情と お金っていう感じですけれども一方通行的な感じ。 でも 小和田先生 氏郷のね風呂を沸かしてってまるで家族ですよね。 当時は やっぱりねいろいろと…主君と家臣との関係を円滑に保つためには結構 まあ 宴会ではないですけど呼ぶんですね。 小和田先生 その時代やっぱり あれですか?今も そうかもしれない…上下関係は はっきりしてたので異例ですかね?確かに珍しいです。 役割だけであって上下関係じゃないと。 封建制的な主従関係でね身分差は大きいのにね。