あしたも晴れ!人生レシピ「“愛”の歌を届けたい~美輪明宏(83)〜」

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この番組のまとめ

16歳で歌手を目指して上京したものの三畳一間の極貧生活。 そんな美輪さんが生きるうえで大切に思っている事とは?♪~ステージに お客様をいざなって下さるんですね。 では改めて美輪明宏さんです。 今回 番組では6月に行われたコンサート音楽会の舞台裏に取材させて頂きました。 衣装からセットまで全て自分で手がける美輪さん。 ロマンチックな雰囲気の中で古き良き時代の歌を届けたいと考えています。 細部にまで徹底的にこだわる美輪さん。 これは美輪さんのアイデア。 観客の皆さんが緊張するという一方で美輪さんはというと…。

それを知ると 人を羨んだりね何か 自分が劣等感に苦しんだりする必要は全く さらさらないんですよね。 フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフが作り上げた「愛の讃歌」。 そこで美輪さんは愛の本質を伝えるために「愛の讃歌」を舞台にし 自分の訳で歌うようになったのです。 そのエネルギーの源というのは?責務使命…使命感でしょうね。 それを自分の使命だ 役割だとお感じになったのは何か きっかけがあったんでしょうか?こんなにうまくね環境を全部神様が作って下さったとしか思えないような環境の中で育ちましたでしょ。

美輪さんが 10歳の時衝撃的な出来事が起こります。 美輪さんには そのあとの光景も衝撃的でした。 自分が夢中になれるものを求めていた美輪さんはしかし その年の冬父親が破産してしまいます。 無一文になった美輪さんは学校に通えず夜の世界で水商売や客引きなどの仕事を転々とする日々を送ります。 美輪さんでも ご苦労の時代がおありだったんですね。 日本中ねもう終戦後で食べる物も着る物も住む所もなくてもうそのどん底からはい上がってくるのにみんな日本中全部が必死だった時代ですよ混乱でね。

誰に向けて 何のために歌うのか?体を張って 1日1日を懸命に生きる人々のたくましさにこうして生まれたのが「ヨイトマケの唄」。 ヨイトマケとは建築現場で おもしを使い地固めをする作業の事。 美輪さんは この「ヨイトマケの唄」をきっかけに再び脚光を浴び始めました。 歌詞の一部が差別的であるとして自主規制がかかり放送自粛扱いとなったのです。 テレビでは封印された「ヨイトマケの唄」を全国行脚し地道に歌い続けたのです。