こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「102歳 韓国に生きる」

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この番組のまとめ

日本と韓国 2つの国で生きた國田さんの102年。 國田さんは最初パクさんが朝鮮半島出身だと知りませんでした。 ちょうど あの 日本の学校の講堂先生が講堂の所に立つでしょう。 だから 「はい 韓国人だ朝鮮人だと分かって私は結婚しました」ってそこで そう言ったの。 自分は好きで結婚したんじゃないし親がしたんだからそういうふうに しかたなくそうなってんだから戸籍処理をちゃんとしますからと。 旦那さんが朝鮮人である事と妻子が いらっしゃった事絶対に驚くし。

「パリパリパリパリパリ」って言ってるのね。 何が パリパリだろうかと思って聞いてるの。 そしたら 自分の奥さんやら子どもやら 連れてリュックサックしょって行く。 韓国人 全部帰ってきたじゃないですか。 もう終戦なったんだから今まで日本の属国だったのが今度は独立するんだから自分たち うれしいんだ。 麦ばっかり ご飯炊いたら二度炊きですよ。 一度 炊いてまた水入れて また二度炊いて。 二度炊いても そうですよ。 二度炊いても。

國田さんは 自分と同じように日本から朝鮮半島に渡ってきた芙蓉会の女性たち 在韓日本人妻が暮らす福祉施設を訪ねました。 私は きょうだい たくさんいるけれども 朝鮮に行ったから…女性たちの運命は 日本と韓国の歴史のうねりに翻弄されました。 こうした動きの中でそれまで ささやかな親睦の場だった芙蓉会は在韓日本人妻を救援する組織へと活動の幅を広げていきます。 苦しい生活を強いられている在韓日本人妻たちのために支援物資や援助金を出すよう求めました。

あんまり 日本語使えないでしょ?だから。 女性たちの帰国のために國田さんは日本から戸籍謄本を取り寄せたり子どもと一緒に帰国するための書類を整えたり複雑な手続きを一つ一つ 片づけていきました。 日本に帰りたい という女性が…。 その宿泊 食べるの お金換えるのいろいろな準備でね在韓日本人妻の帰国に付き添って國田さんは 何度も日本と韓国を往復します。 一方で一旦 日本に帰ったものの韓国に戻ってくる女性も少なくありませんでした。

芙蓉会の活動に奔走してきた國田さん。 この写真は芙蓉会の活動が認められ國田さんが日本政府から勲章をもらった時に撮影した記念の一枚です。 パクさんは芙蓉会の活動を手伝い金銭的にも支えました。 日本人ですよ。 日本人としての後悔がどこにあります。 そんな あなた私が日本人だから韓国人だったら よかったなんてとんでもございませんよ。 日本人としての ちゃんとした気概を持ってますよ。 韓国人だったら よかったのに。