日曜美術館「縄文 “美”の発見」

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この番組のまとめ

縄文時代の魅力をテーマにした映画も公開中です。 僕も歴史の教科書で 縄文土器というのを知った時には近所の山に探しに行きました。 この縄目文様が「縄文」の由来となったのです。 縄目模様そのものは縄文時代の草創期後半から登場するんですけれどもこの縄文時代の前期関山式土器の時期に一番バリエーションが多く登場しています。 縄文土器のおかげで豊かで安定した暮らしが前期の縄目文様は粘土をはり付けた立体的なものに変わりました。 藤森さんはこの造形美の背景には縄文時代の狩猟文化があると考えています。

もう 既にVTRにもご登場頂きました建築史家で建築家の藤森照信さんです。 ほんと つい 昔で… 1万年も前で狩猟採集だっていうとそれこそ 裸で暮らしてた時期じゃないけど元気!って そういう感じで つい単純化して考えがちですけど非常に繊細な心配りとか心遣いっていうものがあって。 よく言われるのは やはり縄文時代は 1万年も安定した生活を送っていた。 その他によく言われるのは縄文時代というのは日本の歴史の中でも海外と交流が少ない時期。

そうした状況の中縄文の美に注目したのが…1951年 40歳の岡本は東京国立博物館で偶然 縄文土器に出会い衝撃を受けました。 四次元的な感覚をもった狩猟民族ならではの感覚をもった人々が作ったに違いないという事に気付きましてその造形力の豊かさに感動したんですね。 ひょっと思いついたのは中央病院に 時々私 お世話になりますけどね中央病院に行けば レントゲン写真があるなという事でですね諏訪中央病院に役所の関係の方がいますのでねお話をしたところ撮ってくれると。

縄文のビーナスが 学術的に価値が高い事を明らかにしたのです。 しかし 美術的価値の認識はまだまだ低いものでした。 縄文の出土品の美術的価値を証明するため土肥さんはある意外な作戦を思いつきます。 海外で評判を呼んだ土器や土偶は日本でも 美術的に高く評価されるようになりました。 そして 1995年文化庁の専門委員会は「縄文のビーナス」を全会一致で 国宝に指定するよう答申したのです。 それにしても病院でレントゲンを撮ったりCT写真を撮影したっていう。 「これが土器だ 縄文時代の…」。

他にも可能性ありますかね?そうですね 茅野は やっぱり土地がいい場所でありますので発掘によっては 今後もこの国宝の土偶2体に匹敵するような土偶が まだまだ発見されるかもしれないですね。 ですので私は 北側の集落で作られたビーナスがその後 南側に集落が展開する時期まで ずっと使われ続けて世代を超えて 何世代かにわたって使われ続けた結果最終的には 南側の集落の広場に埋められたんじゃないかなというふうに考えてます。